住職のブログ

大谷翔平のWBC (住職のブログ

2023/03/28 (火)

3月22日、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、日本代表「侍ジャパン」が前回優勝の米国を破り、3度目の優勝を果たし有終の美を飾った。侍ジャパンは、準決勝でメキシコに逆転サヨナラ勝利を収め、決勝では米国を3対2の接戦で制した。準決勝での村上の逆転打、決勝での大谷vsトラウトの対決と、野球の醍醐味を堪能させてくれた大会であった。そして、エンジェルスのチームメイトであり球界を代表する2人の真剣勝負は、球史に残る名場面として、世界中の野球ファンに永く言い伝えられるだろう。
 大谷がトラウトから奪った3球ともスイングしての空振3振は、非常に稀有なことだという。MLBの記録によると「トラウトがMLBの打席に立った6176回のうち、3球をスイングして外したのは、わずか24回だという」つまり今回のトラウトの空振3振は25回目ということになる。こんな記録まで引っ張り出してきたのには、正直びっくりである。それにしても、あの場面での大谷の伝家の宝刀高速スライダーは、トラウトでなくても誰も打つことはできなかっただろう。まさしく、投手大谷の面目躍如の投げっぷりであった。
 大谷は高校1年生の時、自らの夢実現のため目標達成ノート(マンダラチャート)を作り、具体的に項目を可視化した。そして、高校3年生の時には、直接大リーグに挑戦することを宣言した。しかし、日本ハムファイターズの監督であった栗山監督は、強引に大谷をドラフト1位で指名し、説得に乗り出した。何度も岩手に足を運び、当時懐疑的だった²刀流への挑戦を認め、その才能を信じて後押しすることを約束した。入団後は、二人三脚で可能性を追求し、4年後の2016年には10勝4敗、打率3割2分2厘、本塁打22本と、二刀流で日本ハムファイターズを日本一に導いた。
 大谷にとって栗山監督は、二刀流育ての親であり、今日の土台を作ってくれた大恩人である。監督との出会いがなければ、世界一の選手と言われる大谷翔平は誕生しなかっただろう。栗山監督は大会期間中、何度も「信じる」という言葉を使って選手を鼓舞していた。そして、選手ファーストを貫いて頂点を極め、同時に愛弟子である大谷翔平が世界一の選手であることを証明してみせた。

日露戦争と宇露戦争 (住職のブログ

2023/02/27 (月)

2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻から丸1年、戦争がいつまで続くのか、プーチン大統領だけが決められる。それにしても、ロシアの人命軽視の非人道的行為には、あきれると同時に恐怖を感じる。こんな国が隣国だと思うと、日本の安全保障に危機感を覚える。そんな大国ロシアに、明治維新から35年の新興国日本が戦いを挑み、勝利を収めたことは奇跡的である。この勝利が、「神国日本」思想の跋扈を招き、軍部の暴走を許し、後の太平洋戦争への序章となったことは皮肉である。その最大の罪は、神風特攻隊を生み出したことである。
 日露戦争は、明治37年(1904)2月8日に始まり明治38年(1905)9月5日に、アメリカの仲介によりポーツマス条約を締結し講和した。この日本の勝利は、世界に衝撃を与え、フィンランドではバルチック艦隊を撃破した連合艦隊司令官東郷平八郎に因んで、東郷ビールが発売されたほどであった。日本国内もお祭り騒ぎで大いに盛り上がったが、日本の人的被害は戦死者約8万人、戦傷者約14万人と甚大であった。この勝利は、アメリカ・イギリスの援助を受けた、薄氷を履む勝利であったことを忘れてはならない。
 今回の宇露戦争を見ていると、なぜか120年前を思い出してしまう。私事になるが、日露戦争で母方の先祖が兄弟で戦死している。兄は、明治38年2月27日に奉天会戦で戦死した陸軍大尉泉順三郎(30歳)である。弟は、明治37年9月2日遼陽会戦で戦死した陸軍中尉泉富之助(28歳)である。日露戦争で兄弟二人が戦死したのは、陸軍大将乃木希典の子息、乃木勝典と乃木保典兄弟の両家だけだったので、泉兄弟の出身地である旧角田町では、町あげての盛大な葬儀であったと、祖父から聞かされていたことが影響している。尚、乃木希典夫妻は、大正元年9月13日明治天皇大喪の日に殉死している。
 日蓮聖人は、『立正安国論』で「国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是安全にして、心は是禅定ならん」と述べている。国が衰えたり破壊されたりしなければ、身体は安全で、心は安穏に過ごすことができると、教えている。ようするに、平和の尊さを教えているのである。この忌まわしい宇露戦争が、一日も早く終結することを願うばかりである。
 ウクライナはロシアの隣国、日本もロシアの隣国であることを、忘れてはならない。2月27日は、泉順三郎の祥月命日である。

政治ファースト (住職のブログ

2023/01/31 (火)

昨年12月8日、中国は突然「ゼロコロナ政策」を止めて、国内外の移動自由を解禁した。この政策転換は、11月の「白色デモ」による国民の怒りが、共産党に及ぶことを危惧したためと言われている。この決定は、医学的見地からではなく政治的判断によるもので、政治がすべてに優先する中国らしい政策決定である。重要なのは、共産党体制を守ることで、コロナから国民を守ることよりも大切なのである。この政治体制を最優先する風土は、中国の近代化に失敗した清朝末の混乱に見て取れる。
 中国は、「日清戦争」(1894~95)で日本に惨敗した。その反省から、清朝第11代光緒帝(1871~1908)は、康有為らを登用し急進的な政治改革を目指したが、当時実権を握っていた叔母西太后に阻止され、「戊戌(ぼじゅ)の政変」は失敗に終わり、幽閉され若くして病死した。光緒帝は、日本の明治維新を成功に導いた伊藤博文を顧問に、迎え入れようとしたとも言われている。西太后は、この政治改革が清朝崩壊につながることを、恐れたのである。
 光緒帝の「戊戌の政変」は失敗に終わったが、その後の「義和団の乱」(1900)の敗北を経て、西太后はようやく政治改革を容認するようになった。近代化の最大の障害であった、隋の時代から1300年続く「科挙」を1905年に廃止した。そして、海外留学の学歴が「科挙」と同等に認められるようになり、多くの若者が海外留学するようになった。その中でも、明治維新によって近代化に成功した日本留学が圧倒的に多く、孫文をはじめ多くの革命家が日本から育ち、「辛亥革命」(1911)を起こし清朝を倒し中華民国を樹立した。
  今日、中国は鄧小平の「改革開放」によって、世界第2位の経済大国となった。しかし、習近平はこの経済優先の政策を、共産党一党独裁を守るために政治優先に舵を切っている。政治ファーストが、どんな結果をもたらすのか非常に興味がある。21世紀の西太后にならないことを祈る。

『人を呪わば穴二つ』 (住職のブログ

2022/12/31 (土)

12月28日、安倍元総理の銃撃事件から半年、父晋太郎から続く地元下関市の選挙事務所は、昭恵夫人によって看板が外され、閉鎖された。7月8日、選挙応援演説中に凶弾に倒れたあの場面は、平和ボケした日本を象徴しているようで、警備態勢の甘さが浮き彫りになった。プーチン大統領が始めたウクライナ侵略戦争は泥沼化し、先が見えない中、親交があった安倍元総理を失ったことは、日本外交にとって痛手であった。
 この銃撃事件は、容疑者が旧統一教会の信者二世であったことから、政治家と旧統一教会の闇の部分が明白となり、国民の批判に晒されることとなった。国会では、連日旧統一教会関連の法案が審議され、来年には宗教法人解散が現実的のものとなりそうである。そして、旧統一教会の無理な献金によって家庭が崩壊させられ、困窮を極めた教会二世問題もクローズアップされ、その異常さが白日の下に晒されることとなった。
  このような危ない教団に勧誘された時の対処方法は、野球にヒントがある。ピッチャーが打者に対して、これは打たれそうだと思った時に「敬遠」(敬って遠ざける)するが、これは元々『論語』に出てくる言葉である。孔子が弟子から「鬼神に出会った時にどうすればよいか」と問われた時の答えが「敬遠」である。この宗教は危ないと思ったら、ピッチャーのように「敬遠」するのが、最善の対処方法である。
 旧統一教会のがよく使う呪いの言葉に、「地獄に落ちる」「サタンが付いている」がある。このような言葉を他人にかければ、「人を呪わば穴二つ」の諺があるように、自分に跳ね返ってくる。法華経「観音経」に「念彼観音力」「還著於本人」「ねんぴかんのんりき げんぢやくおほんにん)の経文がある。この意味は、「観音の力を念ずれば 還って呪いの言葉を言った本人に著く」、つまり呪った本人が墓穴を掘ることになるとの教えである。
 軽々に呪いに言葉を使えば、身を滅ぼすことになることを、忘れてはならない。



 

 

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