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元号と天皇 (住職のブログ

2019/05/01 (水) くもり

4月30日、江戸時代の光格天皇以来202年ぶりに生前退位が行われ、戦争しなかった「平成」の幕が下り「令和」の幕が上がった。「令和」にどんなドラマがあるのか、まずは来年の東京オリンピックが楽しみである。元号は、日本の歴史を語るとき、時間を切り取ることができる、西暦にはない魅力がある。この元号制は、世界のどこの国にもない、味のある日本の伝統なので、大切に守っていきたいものである。
もともと、元号は紀元前140年漢武帝が「建元」という元号を用いたのが最初で、その後ベトナムや朝鮮でも使われたが、現在元号を使っている国は日本だけになってしまった。明治以降の元号は「一世一元」、つまり一天皇一元号となったが、それ以前は時の権力者が変わった時や天変地異が起こった時に、たびたび改元されてきた。そんな元号も、第二次世界大戦後に元号を廃止し、西暦に統一することが検討されたが、昭和54(1979)年に元号法が制定され、今日に至っている。
そもそも、元号は天皇と一体不二であり、天皇がいなければ廃止される運命にある。然らば、なぜ天皇が必要なのかといえば、天皇は国の統一を保つのに非常に有効だからである。歴史を顧みれば、天皇は国の分断を救う大きな役割を果たしてきた。それは、明治維新を成功させ近代国家を生み出した、明治を考えれば理解できるだろう。
私見を述べれば、天皇とは人間の体の中心にあるヘソであると考えている。平素はあまり目立たないが、新たな生命を生み出す時には、必要不可欠な存在である。天皇も、日本の新しい時代を生み出す時には、大きな役割を果たしてきた。日本の天下人で、天皇を殺して天下を取った人間はいない。天皇は、まさに統一日本の象徴なのである。
平成天皇は、象徴天皇としての務めをりっぱに無事に果たされ、本当にご苦労様でした。これからは上皇として、日本の行く末をしっかり見守って頂くよう、心より願っております。

 

 

 

 

 

 

東日本大震災から8年 (住職のブログ

2019/03/30 (土) 雪

3月11日、平成未曾有の大災害、2万人余の死者行方不明者を出した東日本大震災から早や8年、被害の大きかった沿岸部の市町村は、まだまだ復興途上である。被災地は、日本国の人口減少と災害による人口減少が重なり、復興の足かせにになっている。そんな中、定住人口と交流人口の中間として「関係人口」を増やすことによって、地域の活性化を図る動きが出てきた。しかし、「関係人口」という言葉は無味乾燥で、どうもしっくりこない。それよりも「好縁人口」と呼ぶ方が馴染むのではないかと思っている。
好縁は、今年2月に亡くなった堺屋太一氏が、20年ほど前にある番組で、これからの社会は地縁・血縁社会から好縁社会を目指すべきと、話していた。私は、この言葉が気に入り、2003年に新しく開設した墓地に「好縁墓」と名付けた。21世紀の日本は、人口減少・少子高齢化が進み、地縁・血縁だのみのお墓だけでは先細りするのが目に見えていた。あれから16年、「墓じまい」が増え、お寺にも本格的な檀家減少の時代がやってきたが、「好縁墓」のおかげでずいぶん助かっている。
21世紀、今の出生率1.43が続けば22世紀初頭には、百年前の人口5千万人になってしまう。政府は、この急激な人口減少社会を乗り切る方策として、外国人労働者の受け入れ拡大、東京オリンピックまでにインバウンド4千万人を掲げ、定住人口と交流人口の増加を目指している。しかし、小さな地方自治体にとって、定住人口を増やしインバウンドの交流人口を増やすにも限界がある。これを補完するものとして、中間の「関係人口」が考え出されたのだろうが、それにしても抽象的でわかりずらい。
それよりも「好縁人口」の方が、具体的でわかりやすいのではないかと考えている。被災地にとって、「関係」より「好縁」の方が、血の通った温かみのある地域社会を築くことができるのではないだろうか。

 

儒教と北斎の龍 (住職のブログ

2019/02/28 (木) くもり

2月27・28日の両日、ベトナムのハノイで米国のトランプ大統領と北朝鮮のキム委員長の首脳会談が行われた。この会談は、北朝鮮にとって国の命運をかけた会談である。このまま軍事的緊張を続けるのか、それとも経済発展の道をとるのか、日本にも大きな影響があるので、これからに注目である。
日本と朝鮮半島の関係は、2千年の歴史の中で常に難しい外交課題であったが、そこには儒教の存在がある。その儒教について「中国本家・朝鮮雨樋・日本水割」という例えがある。つまり、儒教の教祖は孔子なので中国が本家、孔子の教えを雨樋のように直接受け入れたのが朝鮮、そして孔子の教えを水割のように日本独特にしたのが日本、ようするに、宗教ではなく学問道徳にしてしまったということである。
徳川家康は、国の統治の理念として、儒教の内で上に絶対服従と厳しく秩序を重んじる、朱子学を取り入れた。その目的は、争いの絶えない戦国の世から、争いのない平和な社会の構築であった。その選択は、徳川幕府260年の天下泰平の基礎となり、多くの芸術文化が花開いた。その代表として、世界的に有名な浮世絵師である葛飾北斎(1760―1849)について考えてみたい。
北斎は、多くの龍図を描いているが、その中で最高傑作といわれるのが「登り龍図」である。そして、興味深いのは、北斎が描いた龍のツメが3本であるということである。なぜ3本なのか、そこには中国・朝鮮・日本の儒教的序列が込められている。龍のツメ5本は、中国の皇帝だけに認められた特権で、中国以外では御法度であった。それ故、朝鮮は4本、日本は3本ということになっている。つまり、龍のツメの本数に国の序列が、暗黙の内に示されているのである。
この序列を覆したのが、明治維新以来の日本の近代化である。儒教的に言えば、一番格下の日本が繁栄し、格上のはずの中国・韓国が下になり儒教的価値観との齟齬が生まれ、複雑な国民感情となっている。今、最悪の日韓関係の根底には。恨の感情と相俟って、儒教の影響が大きいと考えている。

 

 

アジアカップ (住職のブログ

2019/01/31 (木) くもり

1月28日、サッカーアジアカップ準決勝で、日本はアジア最強といわれたイランに3-0で勝利した。今大会、グループリーグから準々決勝までの5試合すべてが1点差ゲームで、ハラハラドキドキの連続であった。特にサウジアラビア戦は、一方的に押し込まれる展開で、これまで見たことのない試合内容で、決勝までいけるか一抹の不安を残す1-0の勝利であった。これまでの戦いぶりから予想すると、イランとの準決勝は日本不利と思っていたが、結果は予想外の快勝であった。
準決勝イラン戦は、午後11時からの試合でいつもなら寝ている時間だが、眠い目をこすりながらのテレビ観戦も、最後は眠気を吹き飛ばしてくれた森保ジャパンに感謝である。それにしても、ケガから復帰した大迫一人が入っただけで、チームがこんなに変わるのかと驚いたのと同時に、イランのラフプレーにはがっかりである。この試合のポイントは、南野が倒されてもすぐに立上りボールを追いかけたのに対し、イランの選手5人がセルフジャッジで主審に抗議しゴール前に詰めなかった所にある。この大きな判断ミスが大迫のゴールを生み、試合の流れを日本に持ってきた。この試合は、主審が笛を吹くまでプレーを続行しなければならないという、大切な教訓を残した。この試合全般を通してみれば、日本とイランのメンタルコントロールの差が、明暗を分けたといえるだろう。
決勝戦は、2022年のワールドカップ開催国で、急速に力をつけてきたカタールに決まったが、イランを撃破した勢いで5度目の優勝を勝ち取ってもらいたいものである。日本は、過去決勝戦の成績は4-0の負けなしなので、その確率は高いと思っている。強い日本が戻ってきた明日の決勝戦は、本当に楽しみである。   ガンバレ日本

 

 

 

 

 

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