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希望の党 (住職のブログ

2017/10/31 (火) くもり

10月22日、国の舵取りをまかせる政権選択選挙である、衆議院選挙が台風直撃の中行われた。今回の選挙では、小池代表率いる希望の党が台風の目といわれたが、代表の「排除」の一言で逆風が吹き、希望を失う結果に終わってしまったと言われている。反対に、自民党の議席数は、前回と変わらず284の安定多数を獲得した。なぜ、これだけの支持が集まったのか、希望の党の失速が一因かもしれないが、大きく作用したのは好調な経済と北朝鮮の脅威という外部要因であったといえる。基本的に経済が好調な時は、与党に有利なのは世の常である。このような情勢の中で、最大野党民進党の混乱があったにせよ、新党立ち上げは少々疑問が残る決断であった。
小池代表は、昨年の東京都知事選挙と今年の東京都議会選挙で自民党に圧勝し、その余勢をかって希望の党を立ち上げ国政に打って出た。小池旋風が今回の選挙でも続くという読みが、驕りや慢心を生み、その結果惨敗につながり、政権奪取の夢がついえた。冷静に考えれば、東京都知事選挙や東京都議会選挙は、日本の首都とはいえ一地方選挙であり、国の安全保障や外交は問われない。しかし、今回の衆議院選挙は、北朝鮮のミサイルがいつ飛んでくるかわからない状況の中での選挙で、これまでの選挙とはまったく意味合いが違うという認識に欠けていた。この国難の時、国の安全保障や外交をできたての新党に国の命運を託す事ができるのか、選挙結果は国民の良識を示したといえる。
それでは、今回の選挙で良かったことといえば、民進党内の保守派とリベラル派の色分けがはっきりしたことだろう。理想の政界再編は。自民党も交えた中道左派と中道右派の2大政党になり、より左の少数政党とより右の少数政党という、バランスのとれた姿が望ましいと考えている。今回の選挙がその出発点となり、希望の党が2大政党の一方の核になることができるのか、今回の失敗を財産にできるのか、初の女性首相を目指す小池代表の手腕が問われる。

政権交代と大震災 (住職のブログ

2017/10/02 (月) くもり

9月28日、安倍総理は戦後4回目の、衆議院冒頭解散を行った。今回の総選挙の主役は、新党「希望の党」を立ち上げた、小池東京都知事である。政権選択選挙と言われるが、どうも民進党議員の進路選択選挙のようである。左に行くのか、右に行くのか、難しい判断が求められ、公示日まで眠れぬ日々が続く議員もいるようである。
このような結果を招いたのは、国会で議論しなければならない北朝鮮問題を、安倍政権に丸投げし、モリ・カケ蕎麦屋談議に固執した   民進党に原因がある。日本の危機管理の在り方を議論すれば、党内抗争が起き左右に分裂の危機に瀕するテーマだったので、なるべく論戦を避けたかったのだろう。延びた蕎麦は誰も食べないように、国難の時、安全保障を先延ばしした付けが回ってきた。その結果が、民進党消滅である。
小池新党は、右派にとっては渡りに船、左派にとってはいばらの道である。10月22日どんな民意が示されるのか、日本にとって運命の日である。もし、小池新党が勝利し、政権交代が起きると、一つ心配なことがある。それは、政権交代が起きると、大震災がやってくることである。1995年の阪神大震災は社会党の村山総理、2011年の東日本大震災は民主党の菅総理と、なぜか政権交代が起きると大震災がやってくる。2度あることは3度とよくいうが、小池総理が誕生すれば、2020年の東京オリンピックが心配である。
東日本大震災は、貞観地震以来1142年ぶりといわれ、その地震を記録した「日本三大実録」によれば、863年-新潟で大地震、868年-兵庫で大地震、869年-貞観地震、878年-関東で大地震、887年-関西で大地震と、貞観地震の9年後に関東で大地震とある。この地震時系列が、偶然なのかそれとも警鐘なのか、総選挙の結果と共に気にかかる。
政権交代が大地震を誘発するのか、大地震襲来が政権交代を誘発するのか、この因果関係には大変興味がある。10月22日の総選挙の結果に注目である。

 

 

入梅と観光 (住職のブログ

2017/08/31 (木) くもり

8月28日、仙台管区気象台は、仙台の連続降雨が36日となり、昭和9年(1934)の35日を抜き、83年ぶりに観測史上1位を記録したと発表した。今年の東北の夏は、「梅雨入り」後に晴れ「梅雨明け」後に雨と、あべこべな天気予報であった。私は前々から東北に「梅雨入り」「梅雨明け」の発表は必要ないと思っていたので、今年の予報を見ているとやっぱりと思ってしまう。
そもそも、梅雨は江戸時代に中国から伝わったもので、梅の実が熟する頃の長雨を意味し、田植えに適した気候から「入梅」として、暦の雑節に取り入れられるようになった。今年の暦では6月11日、来年の暦でも6月11日である。このように、入梅は田植え期を決める重要な情報となり、農民にとって必要欠くべからざるものになったのである。
江戸時代の天文学者、西川如見(1648~1724)は『百姓嚢』の中で、旧暦での入梅が実際の入梅と合致しないことを指摘し、「農民たるもの暦に頼りすぎて、田植え期を逸することのないように」と注意を喚起している。昔も今と同じように、入梅を決めるのに苦労していたことがわかり、先人の苦労が偲ばれる。米が社会経済の中心を担っていた時代、どれほど入梅の情報が重要だったかが分かる話である。
今では、毎年恒例になっている「梅雨入り」「梅雨明け」の発表は、観光が主要産業ととなる時代、東北にとっては迷惑な話で、何とかしたいものである。北海道は、「梅雨のない北海道」のキャッチフレーズで、全国から大勢の観光客が訪れるが、東北は素通りされている。なぜ、北海道に梅雨がないのかといえば、稲作が行われていなったので、「梅雨の情報が必要ない」というのが、正確な言い方である。東北も、5月の雪解け水で田植えをするので、本来「梅雨の情報が必要ない」地域なのである。入梅の情報が必要だったのは、梅雨の雨を当てにし、6月に田植えをする関東以西の地域であり、東北には必要ないものだった。
入梅は、田植え期を決める大切な情報として、江戸時代に初めて暦に取り入れられたことを忘れてはならない。そして、いかに東北の観光にとってマイナスなっているか、北海道新幹線が開業した今、よくよく考えなければならない。

 

 

 

 

 

宮城刑務所と宮城球場 (住職のブログ

2017/07/31 (月) 晴れ

7月24日、宮城刑務所を生粋の仙台人でありながら、初めて見学する機会を得た。写真でしか見たことのない名木、臥龍梅(樹齢450年)蟠龍の松(樹齢380年)を身近に見ることができ感動した。2本の名木はよく手入れされていたが、場所が刑務所内ということもあり、気軽にいつでも見学できないのは非常に残念である。それにしても、刑務所内にこんな名木があるのは不思議だが、敷地が城跡だったと言われれば納得できるだろう。
宮城刑務所は、明治12(1879)年に伊達政宗公の第2の居城若林城址に開設された。爾来140年、受刑者と同じように塀の中で、人目に触れることなく、ひっそりと時を刻んできた。多くの人に知られることもなく、このまま歴史に埋もれさせるには、あまりに惜しい仙台の財産である。インバウンド効果が注目される時代、何とか仙台の名所旧跡を巡る市内観光バス、「るーぷる仙台」のコースに入れたいものである。塀の中のままでは、名木も謎木で終わってしまう。名木は多くの人に見られることによって、名実とも名木となる。仙台は、観光名所が少ないとよく言われるが、若林城と臥龍梅(がりょうばい)蟠龍の松(はんりょうのまつ)の存在を忘れてはならない。そして、この歴史的財産を多くの人訪れ賑わう、観光名所にしなければならない。
宮城刑務所の近くには、楽天イーグルスで大いに賑わっている宮城球場、現在はコボパーク宮城がある。楽天の本拠地となる14年前までの宮城球場は、しがない古びた一地方球場にすぎなかった。それが、楽天のおかげで球場だけでなく、仙台駅東口全体の発展に大いに寄与している。一民間企業でこれだけの事ができるのであれば、百万都市仙台が本腰を入れれば、若林城を中心に賑わいを創出できるはずである。郡新仙台市長には、宮城刑務所をどうするのか、市民の意見を聞きながら、将来ビジョンを示してもらいたいと思っている。
今年3月31日、法隆寺の近くにある日本で一番古い奈良刑務所が閉鎖され、ホテルの生まれ変わることになった事例も参考になるだろう。

 

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