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イスラエル・イラン戦争 (住職のブログ

2025/06/30 (月)

6月25日、イスラエルとイランとの12日間戦争の停戦が成立した。イスラエルにとって、イランは不俱戴天の敵であり、国の存亡をかけた戦いであった。しかし、今回の戦争は両国が勝利宣言するという、奇妙なものであった。これを演出した、アメリカのトランプ大統領の役者ぶりは異色で、自らも勝利宣言し3か国敗者なき戦争で、一様丸く収まった前代未聞の珍事となった。トランプ大統領は、千両役者なのか大根役者なのかよくわからないが、破天荒な大統領であることは確かである。
 今回の戦争の結末を見て、落語の「三方一両損」(対立する双方を丸く収める状況を表す)を思い出した。名奉行と言われた大岡越前守が、一両を出して双方を納得させ丸く収めた話である。トランプ大統領は、イランの核施設を爆撃することによって、イスラエル・イラン双方に停戦を認めさせた。その方法は、最強の爆弾バンカーバスターを使うことによって、大岡越前守の一両と同じ効果をもたらし、「三方一両損」の状況を作り出した。今回の停戦は、「落語的停戦」と呼ぶことができる。 
 イスラエルは、人口一千万面積は日本の四国ほどの大きさで、人口九千万面積80倍の大きさのイランを翻弄する、中東一の軍事大国である。一般的に考えればありえないが、バックにアメリカが付いているからこそ出来る芸当である。アメリカには、世界最大700万のユダヤ人コミュニティがあり、政治・経済・メディアに大きな影響力を持ち、トランプ大統領も無視できない存在である。それが、アメリカにイラン核施設攻撃を踏み切らせた一因なのだろう。イスラエルは、アメリカにとって頭痛の種であるが、見捨てることのできない国なのである。
 日本は、アメリカと安全保障条約を結んでいるが、アメリカ国内の日系人の影響力は期待できないので、「いざ鎌倉」の時、本当に守ってもらえるのか疑問である。戦後80年、日本もそろそろ平和ボケから目を覚まし、自律する事を真剣に考えなければならない。

 

令和の米騒動 (住職のブログ

2025/05/30 (金)

5月26日、小泉新農林水産大臣は今後放出する備蓄米を店頭で、5キロ2千円(消費税抜)で販売すると発表した。今回は、令和3年・令和4年の備蓄米30万トンで、直接大手小売業者と随意契約を始めると、同時に発表した。この1年で米価は2倍となり、国民からの批判を受け、前例のない新方式での放出となった。前回までは、競争入札で行ってきたが、米の価格は上がる一方で、石破首相に対する風当たりは強まるばかりであった。江藤前大臣の失言によって、新大臣となった小泉氏の手腕が問われることになる。
 今回の令和の米騒動は、前回の冷害によって米不足になった平成の米騒動(1993年)とは違い、米価格の高騰が原因である。平成の米騒動では、外米が多く出回り、私自身も初めてタイ米を食する機会を得た。長粒種のタイ米は、パサパサしてカレーライスやチャーハンに向いているが、お茶碗で食べる米ではなかった。改めて、日本米の美味しさを再認識させる出来事であった。今回の米騒動は、これまで聖域と言われてきた米政策の一大転機をもたらすのか、自民党と農協にとって正念場である。
 一様、今回の価格高騰は米不足によると言われるが、なぜこれほど高騰したのか原因がはっきりしない。一つ気になるのは、インバウンドの影響である。昨年令和6年の訪日外国人数は3687万人、消費額は8.1兆円と共に過去最高を記録した。この8.1兆円の中には、食事の費用も入っている。日本食ブームもあり、お米を食べる外国人は多い。これだけの人数であれば、米の消費量もかなり多いはずであるが、新聞やテレビで報じられることはない。農林水産省は、日本人だけでなく訪日外国人ががどれだけ米を食べたのか、試算してもらいたいものである。
 古来より、米は日本人にとって政治・経済・文化に影響を与える特別な存在であり、宗教行事には欠かせないお供え物である。これからも適正な価格で食べられる、主食であり続けてもらいたいものである。


 

 

 

 

 

土葬と火葬 (住職のブログ

2025/04/30 (水)

4月26日、21日に死去した中南米出身初のローマ教皇フランシスコの葬儀がキリスト教カトリック総本山バチカンのサンピエトロ広場で厳粛に執り行れた。葬儀には、世界各地から集まった多くの信者が参列し、トランプ大統領始め各国の首脳・要人も参列しフランシスコ教皇に別れを惜しんだ。死後6日で、これだけの規模で葬儀を行なうことができる教団の影響力は、驚嘆に値する。世界中に13億人の信者を擁する教団の底力というべきなのだろう。次期教皇は、来月のコンクラーベで選出されるが、本命不在ということで誰が選出されるか注目である。

教皇死後6日目の葬儀、そして葬儀の後に次期教皇が選出されるというのは、日本の仏教界では考えられない。日蓮宗のトップ総本山・身延山久遠寺の法主が死去すれば、法主の葬儀は次期法主が決まってから執り行れるのが通例で、順序が逆である。キリスト教は土葬、仏教が火葬という埋葬方法の違いが、葬儀日程に表われている。キリスト教も、近年火葬を積極的に認めているのは、カトリックが1963年の指針で火葬を容認することを、決定している事に起因している。今まで、日本でキリスト教徒による土葬墓地問題が、社会問題にならなかった大きな理由である。

今、日本で土葬墓地をどうするのか問題になっているのは、イスラム法が火葬を禁止しているからである。イスラム法は日本国憲法・法律・社会常識より優先され、妥協する余地がない事が、問題解決を困難にしている。キリスト教のように、火葬を容認する指針をイスラム教総本山メッカ(サウジアラビア)から示されればよいのだが、今のところ期待はできない。日本のように平野部が少なく人口の多い国にとって、より大きな面積が必要な土葬は、衛生問題を含めて難しいので、紆余曲折が考えられる。

火葬が容認されたキリスト教国、イギリスでは80%、アメリカでは60%の火葬率になっている。世界的には、人口爆発・都市化・環境問題等を考えると、これからも火葬は増えていくだろう。火葬を認めないイスラム教が、これからどのように対処するのか、注視していかなければならない。

臓器移植 (住職のブログ

2025/03/29 (土)

今月、当山で初めて臓器を提供した、若者の葬儀を執り行った。日本の脳死による臓器移植の1177例目であった。臓器移植法の施行から20年以上が経つので、年間50例程である。米国では、年間140000例以上であることを考えると、日本の臓器移植が極めて少ないことがわかる。なぜ少ないのかと言えば、臓器移植に関するガイドラインが厳しく、施術できる病院が限られ、脳死が「臓器を提供される場合に限って」人の死とされることが、影響していると考えられている。
 今回の臓器は、心臓が東大病院、肺は京大病院と獨協医科大病院、肝臓は京大病院、すい臓と腎臓は九州大病院、もう片方の腎臓は東北大病院に提供され実施された。九州大病院からは、プライベートジェット機で医師が付き添い臓器を受け取りにきた、大がかりのものであった。これだけの臓器移植を承諾した家族に、提供された家族は感謝しかないだろう。日本の臓器移植が少ない現状を変えるには、どうすればよいか国全体で考えなければならないと同時に、テレビ等を使ってもっと啓蒙することが必要だろう。
 臓器移植を妨げる一つの要因として、日本の宗教にあるのではないかと考えている。それは、お盆の行事である。お盆は、最大の仏教行事で、亡くなったご先祖が帰ってくるので、仏壇に盆棚を飾りキュウリの馬とナスの牛をお供えして、ご先祖をお迎えする。それは、ご先祖が馬に乗って早く帰ってこい、帰る時は牛に乗ってゆっくり帰りなさいという意味が込められている。お盆は、使者と生者が楽しく過ごす大切な一時である。この時に、臓器がなければ「あの世」から「この世」に帰ってこれないのではという、漠然とした恐怖心が躊躇させるのではないか、これは心情的なものだけになかなか難しい問題である。
 その一例として、お盆にお経に伺う家の仏壇の盆棚に、ベンツとロールスロイスのミニカーが供えてある。なぜなのかと言えば、故人は大の車好きで、生前にお盆に帰ってくる時に、馬や牛には乗れないので、車を用意して欲しいとの希望であった。家族は、故人の意を酌んで、生前乗れなかった高級車を準備したとの事であった。確かに、臓器が亡くなれば、高級車に乗れなくなるのではと心配する家族の心情も理解できる。臓器移植の難しさを、改めて実感させられる出来事であった。

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