住職のブログ

入梅と観光 (住職のブログ

2017/08/31 (木) くもり

8月28日、仙台管区気象台は、仙台の連続降雨が36日となり、昭和9年(1934)の35日を抜き、83年ぶりに観測史上1位を記録したと発表した。今年の東北の夏は、「梅雨入り」後に晴れ「梅雨明け」後に雨と、あべこべな天気予報であった。私は前々から東北に「梅雨入り」「梅雨明け」の発表は必要ないと思っていたので、今年の予報を見ているとやっぱりと思ってしまう。
そもそも、梅雨は江戸時代に中国から伝わったもので、梅の実が熟する頃の長雨を意味し、田植えに適した気候から「入梅」として、暦の雑節に取り入れられるようになった。今年の暦では6月11日、来年の暦でも6月11日である。このように、入梅は田植え期を決める重要な情報となり、農民にとって必要欠くべからざるものになったのである。
江戸時代の天文学者、西川如見(1648~1724)は『百姓嚢』の中で、旧暦での入梅が実際の入梅と合致しないことを指摘し、「農民たるもの暦に頼りすぎて、田植え期を逸することのないように」と注意を喚起している。昔も今と同じように、入梅を決めるのに苦労していたことがわかり、先人の苦労が偲ばれる。米が社会経済の中心を担っていた時代、どれほど入梅の情報が重要だったかが分かる話である。
今では、毎年恒例になっている「梅雨入り」「梅雨明け」の発表は、観光が主要産業ととなる時代、東北にとっては迷惑な話で、何とかしたいものである。北海道は、「梅雨のない北海道」のキャッチフレーズで、全国から大勢の観光客が訪れるが、東北は素通りされている。なぜ、北海道に梅雨がないのかといえば、稲作が行われていなったので、「梅雨の情報が必要ない」というのが、正確な言い方である。東北も、5月の雪解け水で田植えをするので、本来「梅雨の情報が必要ない」地域なのである。入梅の情報が必要だったのは、梅雨の雨を当てにし、6月に田植えをする関東以西の地域であり、東北には必要ないものだった。
入梅は、田植え期を決める大切な情報として、江戸時代に初めて暦に取り入れられたことを忘れてはならない。そして、いかに東北の観光にとってマイナスなっているか、北海道新幹線が開業した今、よくよく考えなければならない。

 

 

 

 

 

宮城刑務所と宮城球場 (住職のブログ

2017/07/31 (月) 晴れ

7月24日、宮城刑務所を生粋の仙台人でありながら、初めて見学する機会を得た。写真でしか見たことのない名木、臥龍梅(樹齢450年)蟠龍の松(樹齢380年)を身近に見ることができ感動した。2本の名木はよく手入れされていたが、場所が刑務所内ということもあり、気軽にいつでも見学できないのは非常に残念である。それにしても、刑務所内にこんな名木があるのは不思議だが、敷地が城跡だったと言われれば納得できるだろう。
宮城刑務所は、明治12(1879)年に伊達政宗公の第2の居城若林城址に開設された。爾来140年、受刑者と同じように塀の中で、人目に触れることなく、ひっそりと時を刻んできた。多くの人に知られることもなく、このまま歴史に埋もれさせるには、あまりに惜しい仙台の財産である。インバウンド効果が注目される時代、何とか仙台の名所旧跡を巡る市内観光バス、「るーぷる仙台」のコースに入れたいものである。塀の中のままでは、名木も謎木で終わってしまう。名木は多くの人に見られることによって、名実とも名木となる。仙台は、観光名所が少ないとよく言われるが、若林城と臥龍梅(がりょうばい)蟠龍の松(はんりょうのまつ)の存在を忘れてはならない。そして、この歴史的財産を多くの人訪れ賑わう、観光名所にしなければならない。
宮城刑務所の近くには、楽天イーグルスで大いに賑わっている宮城球場、現在はコボパーク宮城がある。楽天の本拠地となる14年前までの宮城球場は、しがない古びた一地方球場にすぎなかった。それが、楽天のおかげで球場だけでなく、仙台駅東口全体の発展に大いに寄与している。一民間企業でこれだけの事ができるのであれば、百万都市仙台が本腰を入れれば、若林城を中心に賑わいを創出できるはずである。郡新仙台市長には、宮城刑務所をどうするのか、市民の意見を聞きながら、将来ビジョンを示してもらいたいと思っている。
今年3月31日、法隆寺の近くにある日本で一番古い奈良刑務所が閉鎖され、ホテルの生まれ変わることになった事例も参考になるだろう。

 

身延団参 (住職のブログ

2017/06/30 (金) くもり

6月3日、2泊3日の行程で4年ぶりに山梨県身延町の日蓮宗総本山身延山久遠寺へ、一行21名で団参を行った。1日目は、午前7時に本国寺を出発、東北道ではなく前回同様、福島県の原発被災地を通る常磐道を使った。高速道路の途中にある、双葉町の放射線量表示板の数値は、4年前に比べかなり低くなり、汚染されたゴミが入った黒い袋も、目立たなくなっていた。しかし、人の気配は感じられず、原発事故の影響の大きさを、改めて思い知らされた。
今回、常磐道を使った理由には、もう一つの目的があった。それは、昨年1月に発注し先月千葉県松戸市の翠雲堂工場で完成した2体の仏像、日蓮聖人御降誕800年(2021)の記念事業で建立される山門に安置する「不動明王像」「愛染明王像」の出来栄えを確認するためであった。当日は、社長をはじめ関係者に出迎えられて、仏像の前で詳しい説明を受け、皆で記念撮影をし、仏像の大きさに一同驚いた様子だった。不動明王は仏道成就、愛染明王は良縁成就の仏様として、これからの本国寺興隆に貢献してくれることを願いながら、一路今日の宿泊地身延山を目指した。身延山に到着したのは午後6時、仙台から550km、平均年齢75歳の檀信徒にとっては、少々強行軍であった。
2日目は、早朝5時半から久遠寺の朝勤に参加し、記念事業の無事円成を祈願して頂いた。それから、日蓮聖人の御廟所にお参りし、聖人61年の御生涯に想いを馳せ、円成後の再訪を誓い、身延山を後にし、次の目的地埼玉県川越市の本応寺に向け出発した。途中、寄り道し高尾山を初めて訪れたが、東京近郊の観光地らしく、人の多さと賑やかさには正直驚いた。身延山の静寂、高尾山の喧噪、この対照的なお山を体験することができ、色々考えさせられる日となった。
3日目は、大震災の年に90歳で亡くなった師父が、昔お世話になった本応寺で、第7回忌の法要を営み、師父の修業時代に想いを馳せるひと時となった。そして、川越の町が有名観光地となり、多くの外国人が行き交う町に変貌し、小江戸の情緒が失われた姿に、時の流れを感じさせた。今回の身延団参は、過去と未来のコラボレーションの旅であった。

 

 

仙台市のいじめ問題 (住職のブログ

2017/05/31 (水) くもり

が5月22日、義家文部科学副大臣は、仙台市青葉区で今年4月いじめを受け自殺した、折立中学校の男子生徒の問題で、奥山仙台市長と大越仙台市教育長を、文科省に呼び面談した。仙台市では、2014年9月に泉区館中学校1年の男子生徒、2016年2月に同区南中山中学校2年の男子生徒と、2年7ケ月で3人の中学生がいじめを受け自殺した。この異常事態を招いた、仙台市のいじめ問題に対する、認識の甘さが指摘されている。奥山市長の前職が、仙台市教育長だっただけに、なおさらである。
なぜ、市長の出身母体である教育界で、続けて忌々しい問題が起きるのか、考える必要がある。その一因として、市長と教育委員会の馴れ合いがあると、思っている。それを感じたのは、最初の泉区館中学校でいじめ問題が起きた時の、対応であった。市長は、遺族の意向を強調し、いじめの詳細を公表せず、内々の問題として処理しようとする意図が、透けて見えた。ネットの世界では、様々な情報が流れ、中学校名も判明しているのにもかかわらず、なかなか学校名も公表しなかった。
市長の発言内容は、教育委員会の見解を踏襲するだけで、問題追及の熱意に欠け、当事者意識が希薄なものだった。それは、仲間内でかばい合っててるようで、何とも歯切れの悪い記者会見であった。その記者会見を見ながら、こんなことで大丈夫なのだろうかと思ったことを、今でもよく覚えている。悪い予感は当たるもので、第2第3の犠牲者を出してしまい、本当に残念である。
今回の、文科省との面談では「重大性の認識欠如」が指摘され、仙台市は待ったなしの組織改革と意識改革が、求められている。これを奇貨として、徹底的な原因解明と再発防止策が講じられることを願っている。本来、仙台市教育委員会は、市長の心情を忖度するのではなく、遺族の心情を忖度する組織だと思うのだが、なぜそれができなかったのか、大いに反省しなければならない。
いじめを経験した親として、PTA会長経験者として、二度とこんな悲劇を繰り返してほしくないし、起こしてはならないと思っている。

 

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