ブログ

国葬に想う (住職のブログ

2022/09/30 (金)

9月27日、日本武道館において、日本憲政史上最長の通算8年8ヶ月首相を務めた安倍元首相の国葬が、しめやかに執り行われた。7月8日、奈良市内で参院選の応援演説中に凶弾に倒れてから、81日目の国葬であった。この国葬については、国会軽視や旧統一教会をめぐる問題から、賛否が分かれる結果となった。その結果、安倍元首相を偲び多くの人が献花に訪れた一方、会場の外では反対デモが繰り広げられるという、異例の葬儀となってしまった。 
 国葬反対の人が、デモを行うことは自由であるが、サイレントマジョリティーにどのように思われるのか、主催者にはよく考えて欲しかった。中国や朝鮮には、死者にムチ打つ文化はあるが、日本にはない。まして葬儀の当日に行うことに対して、どれだけ賛同を得られるのか疑問である。多くの国民は、問題はあるにしても葬儀の日ぐらいは、静かに見送ってあげるのが、死者に対する礼儀だと思っているのではないだろうか。
  それにしても、山上容疑者が行った凶行が、これほど国を二分する事態になるとは、事件当初は予想できなかった。しかし、政治家と旧統一教会の関係が次々と明らかになったことが、国葬反対に拍車をかけたことは否定できない。安倍元首相を筆頭に、旧統一教会の政界工作がこれほど深く広く潜航していたとは、大きな驚きであった。国葬の是非に影響を与えた旧統一教会問題は、これから国会で議論されることになるだろうが、一番の焦点は宗教法人が剝脱されるか否かである。岸田総理の指導力が問われることになる。
  今回の安倍元首相の国葬は、賛否が分かれる中で執行されたが、その中で、一服の清涼剤となったのは友人代表菅前総理の弔辞であった。菅前総理のとつとつとした語りと心情あふれる弔辞は、自然と拍手が起こり参列者そして国民に感銘を与えた。弔辞の一節「かたりあひて 尽くしし人は先立ちぬ よりよい後の 世にいかにせむ」の句は、菅前総理が安倍元首相の盟友であったことを深く印象付けるものであった。
 静寂であるべき国葬が、国騒となったことは非情に残念であった。

須江監督 (住職のブログ

2022/08/31 (水)

8月22日、夏の高校野球甲子園大会で、仙台育英が下関国際を8対1で下し、初優勝を飾った。この優勝は、深紅の優勝旗が初めて「白河の関越え」の歴史的快挙とも重なり、二重の喜びとなった。今まで東北勢は、、第一回大会から108年間で12度決勝に挑戦しその都度跳ね返されたが、その壁を打ち破った仙台育英、そして須江監督に拍手である。これで「100年の呪縛」から解放され、東北のチームによい影響を及ぼすことになるだろう。
 今年の仙台育英の優勝メンバーは、多くの2年生が活躍していたので、来年春、来年夏の大会も期待できるので楽しみである。今大会前は、140キロ越えの投手5人を揃えたチームととして話題性はあったが、優勝候補には上がっていなかった。しかし、閉会式における須江監督の優勝スピーチ、全国に響いた「青春って凄く蜜」を聞いて、優勝の陰には優れた指導者の存在があったのだと、改めて理解した。
 須江監督の座右の銘は、「人生は敗者復活戦」と言っていた。昨年、夏の県予選4回戦で惨敗し甲子園出場を逃したのが、良い薬になったのかも知れない。徳川家康の「勝つことばかり知りて、負けることを知らねば、害その身にいたる」の言葉を思い出した。人生において、時には負けることの大切さを教えてくれる、名言である。甲子園大会優勝は、須江監督にとって、敗者復活戦の集大成だったといえるのではないだろうか。
 今大会、須江監督の率いる仙台育英の戦いぶりは、投打のバランスがよく安心して見られたが、特筆すべき前評判どうりの5人の好投手を揃えたことである。夏の甲子園大会は、地球温暖化の影響もあり酷暑化が進み、複数の好投手を擁しなければ、優勝できない時代の到来を告げている。決勝の下関国際戦は、終盤の攻防に投手力の差が如実に出た試合であった。投手力に余裕のあった仙台育英に、勝利の女神は微笑んだ。
 仙台育英モデルは、これから甲子園を目指すチームの指針となるだろう。そして今回の優勝は、東北の人たちの間で、後々まで語り継がれることだろう。

ステルス教団 (住職のブログ

2022/07/31 (日)

 7月8日、安倍元首相が奈良市内で参議院選挙の街頭応援演説中、凶弾に倒れ死去した。奇しくも、父晋太郎と同じ享年67歳であった。日本の首相として、最長7年8か月の長期政権を担い、国内外に多大な功績を残しただけに、惜しまれる死であった。この銃撃事件の一報を聞いた時、政治的テロかと思ったが、さにあらず、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)を怨んだ男の凶行であった。
 その男とは、旧統一教会信者二世の山上徹也容疑者、単独犯行であった。そして、凶行に及んだ武器が、お手製の銃であったのには、本当に驚かされた。それにしても、奈良県警の警備は隙だらけで、素人目にも分かるお粗末なものであった。平和ボケ日本を象徴するような警備態勢で、犯人が至近距離まで近づき銃を発射するまで誰も気付かなかったのだから、致命的である。二度とこんな事件が起こらないように、原因を徹底究明してもらいたいものである。
  今回の安倍元首相の銃撃事件は、思わぬ副反応をもたらした。それは、旧統一教会がいかに自民党に食い込んでいたかを、白日の下に晒したことである。安倍元首相の祖父である岸信介元首相が、1960年代に、旧統一教会を日本に導入して国際勝共連合を創設し、共産主義の脅威と間違いを訴え、自由と平和を守る活動を始めた。当時は、共産主義を母体とした学生運動が激しく、日本を共産主義から守ることは、喫緊の課題であった。
  旧統一教会は、1970年代~1990年代にかけて霊感商法や高額献金や合同結婚式等が大きな社会問題となり、世の中に広く認識されることとなった。そんな問題のある宗教団体と、今日まで自民党が密かに持ちつ持たれつの蜜月関係を続けてきたことが、今回の銃撃事件が起因となり、マスコミによって次々と明らかにされている。この関係が、これからどのように変化するのか、注視していかなければならない。旧統一教会は、様々な団体を装い正体を隠して近づくステルス教団であることを、私達は深く認識しなければならない。
  最後に、凶弾に倒れた安倍元首相(紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士)の冥福をお祈りいたします

京都同期会 (住職のブログ

2022/06/30 (木)

6月23・24日、1泊2日でコロナ禍で中止していた修業時代の同期会を、久しぶりに京都で開催した。京都は、コロナの影響で外国人観光客がいないので、普段見学できない場所でも、ゆっくり見学できるだろうという理由で決めた。その第一候補は、なかなか見学できない京都御所である。今回は、予約なし案内人付きで見学でき、御所の成り立ちについて詳しく説明を受け、歴史のよい勉強になった。
 京都御所は、京都に遷都された794年から明治維新(1868年)まで天皇の住まいとして使用された、由緒ある場所である。京都は何度も訪れているが、御所は初めてなのでその敷地の広さと檜皮葺の壮麗な建物群、そして手入れの行き届いた2千本の松の木には驚かされた。今まで御所は何度も火災にあい、その都度再建されて現在の建物は安政2年(1854年)に建立されたもので、明治・大正・昭和の天皇の「即位の礼」が行われた、歴史的な舞台となった場所であるとの説明であった。今回の京都御所見学は、日本の古代以来の宮殿建築、そして庭園を見ることができ、大変貴重なひと時であった。
 次に訪れた世界遺産の二条城は、徳川家康が天皇の住まいである京都御所の守護と将軍上洛の宿泊所として、慶長8年(1603年)に築城したものである。城内は、狩野探幽の描いた虎の障壁画など、数多くの豪華絢爛たる桃山文化を見ることができる。そして一番の見どころは、慶應3年(1867年)15代将軍徳川慶喜が「大政奉還」を行った二の丸御殿の大広間である。この慶喜の速やかな決断は、欧米列強に付け入るスキを与えなかったということで、日本歴史上特筆すべき出来事である。「大政奉還」は、徳川家康から続いた徳川幕府の終焉であると同時に、日本近代の夜明けであった。近代日本のスタートは、「大政奉還」から始まったといえるだろう。
 今回の同期会は、コロナのお陰で混雑することもなく、歴史的に重要な場所を見学することができ、有意義な時間を過ごすことができ、思い出深い旅となった。

 

 

ページトップへ