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十字軍 (住職のブログ

2023/11/30 (木)

11月24日、イスラエルとハマスの間で、4日間の戦闘休止で合意した。毎日人質が解放され、家族と再会する映像が流れているが、戦闘休止がいつまで続くのか、注目である。今まで百人ほどの人質が解放されたが、全員が解放されるまで、予断を許さない日々が続く。中東は「火薬庫」と言われ、紛争が絶えない地域である。イラク戦争の時、フセイン大統領によって日本人が人質に取られたことを思い出し、平和な日本に生まれたことに感謝である。
 なぜ、紛争が絶えないのか、時代を遡れば11世紀末から13世紀まで、7回行われた十字軍に起因する。当時、エルサレムはイスラム勢力によって支配され、キリスト教徒にとって望ましい状況ではなかった。この状況を打破しようと、1096年ビザンツ帝国のアレクシオス1世が「聖地エルサレム奪還」を旗印に、ローマ教皇ウルバヌス2世に援助を求めた。その時、ウルバヌス2世は聖地奪還に参加する兵士に、十字架を付けることを命じたのが、「十字軍」の始まりである。
 第1回目の十字軍は、1099年5月にエルサレム奪還に成功するが、内実は行く先々で略奪を繰り返し、聖戦と呼べるものではなかった。十字軍は、住民を無差別に虐殺し「血の海」にしたと言い伝えられている。そして、イスラム教徒にとって聖地である「岩のドーム」まで襲撃され、十字軍は恐怖の対象以外の何物でもなかった。この出来事が、今でもイスラム教徒の記憶に刻まれ伝えられ、今回のイスラエルによる無差別爆撃が重なって見えるのだろう。
 第1回目の十字軍によって奪還されたエルサレムだが、その後イスラム勢力に奪還され、結局7回にわたる十字軍は失敗に終わった。それから700年、イスラム勢力に支配されたパレスチナに、1948年イギリス、フランスによってイスラエルが建国された。イスラエル建国は、イスラム教徒にとって招かざる客であり、受難の歴史の始まりであった。イスラエルは20世紀の十字軍で、過去の記憶を呼び起こす悪夢となった。
 イスラム教徒は、十字軍のキリスト教徒に虐げられ、今度はイスラエルのユダヤ教徒に虐げられるという被害者意識は、中国に千年にわたって虐げられた朝鮮の「恨」の感情に似ている。イスラム教徒の「恨」は、宗教が根底にあるだけにより根深いといえるだろう。

 


 

 

宗教戦争 (住職のブログ

2023/10/31 (火)

10月27日(金)、イスラム教徒にとって金曜礼拝の日である。当山の近くには、東北で唯一のイスラム寺院があるので、イスラム教徒達が三々五々にお寺の前の国道を、歩いたり、自転車に乗ったり、車に乗ったりして礼拝に行く。彼らの姿を見ていると、その熱心さに驚くと同時に感心させられる。たまには、信者達がお寺の境内に上って来るので、仏像に悪戯されないかと、バーミアンの大仏爆破の映像が強烈だっただけに、少々心配になる。狂信的な信者が、出現しないことを願っている。
 中東では、ユダヤ教のイスラエルとイスラム教のパレスチナハマスとの戦争が勃発し、これからどうなるのか宗教が絡んでいるだけに厄介である。イスラエルは、ホロコーストの反省と同情もあったヨーロッパ諸国の後押しによって、1948年パレスチナの地に建国された。2000年前にローマ帝国に滅ぼされ、世界中に流浪の民となったユダヤ人にとって、宿願の新国家誕生であった。新国家イスラエルの誕生によって、この地を追い出されることとなったパレスチナ人にとっては、降って湧いた災難であり、恨み骨髄の出来事であった。しかし、イスラエル人にとっては旧約聖書で神から与えられた約束の地カナン(パレスチナの古名)に戻っただけという認識なので、罪の意識はないだろう。
 パレスチナ人は、パレスチナに住んでいたアラブ人なので、イスラエルは多くのアラブ諸国を敵に回す結果となり、これまで4度も戦争を行ってきた。しかし、ユダヤ人とアラブ人は、「信仰の父」と呼ばれるアブラハムを先祖とする、異母兄弟である。アブラハムと女奴隷ハガルとの間に生まれたイシュマエルがアラブ人の先祖、アブラハムと妻サラの間に生まれたイサクがユダヤ人の先祖である。そして、イサクのの子であるヤコブはやがて神から「イスラエル」と名付けられ、これが現在の国名になっている。
 ユダヤ教は、日本の神道、インドのヒンズー教と共に、世界三大民族宗教と言われ、その民族だけが信仰する宗教である。今回の戦争は、宗教が絡んだ兄弟喧嘩なので、なかなか和解は難しい。神道と仏教が争いなく共存している日本は、世界的に見れば稀有な国と言えるだろう。宗教戦争のない日本をつくった先人達の知慧と努力に感謝である。

 

 

秋彼岸 (住職のブログ

2023/09/29 (金)

9月20日は、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる、秋彼岸の入り日である。今年は猛暑続きの夏であったが、ようやく秋の気配を感じられる季節になった。お彼岸は、平安時代から1000年以上続く、日本独自の仏教行事である。春と秋の2回、「春分の日」「秋分の日」の日をはさむ1週間である。お彼岸には、お墓参りをしてご先祖をしのぶと同時に、そこにはお釈迦様の教えが込められている。
 なぜ、お彼岸が1週間の7日なのかといえば、インドでは7という数字が、仏を象徴する数字と考えられているからである。それは、お釈迦様が誕生した時、「七歩あるいて天上天下唯我独尊」と言った古事にあらわれている。7歩あるくことによって、この子は将来仏様になることを、暗に示唆しているのである。つまり、仏教は「成仏」を目指す宗教であることを、お彼岸の行事を通じて私達に教えているのである。そして、お彼岸では「春分の日」「秋分の日」を「お中日」といい、9月23日が秋彼岸の「お中日」である。
 それでは、お彼岸になぜ「お中日」が設けられたのかといえば、7日間の真ん中で、昼と夜の長さが同じいうことで、お釈迦様が説かれた「中道」の教えと結びついているからである。仏教の大切な教えである、「成仏」と「中道」をお彼岸の行事を通して、今に伝えているのだということを忘れてはならない。お彼岸は、ご先祖に感謝すると同時に、お釈迦様の教えに触れる1週間でもある。
 お釈迦様が説いた仏教を、わかりやすく教えてくれる漢詩がある。それは、「七仏通戒偈」(しちぶつつうかいげ)で、「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(もろもろの悪をなすなかれ もろもろの善を奉行せよ 自らその意を淨くする これ諸仏の教えなり)である。「闇バイト」と称し、安易に悪事に手を染める若者を見ると、「七仏通戒偈」を思い出す昨今である。

処理水放出への想い (住職のブログ

2023/08/31 (木)

8月24日、東京電力・福島第一原子力発電所の事故から12年半、ようやく原子炉デブリから出る汚染水を処理した、ALPS処理水の海洋放出が始まった。中国は反対しているが、この作業は廃炉に向けこれから30年、粛々とやり続けなければならない。原発の空撮映像で、1000基以上のタンク群を見ると壮観だが、気になることがある。タンクが設置されている場所は、断崖の上にあり原発敷地の海抜と明らかに違う。この光景を見るたびに、なぜ30mある断崖を10mまで削って建設したのか、胸中複雑である。
 福島第一原子力発電所は、1号機はアメリカのGE、2号機は東芝、3号機は日立、こ3機がメルトダウンを起こして、大惨事を招いた。GEの1号機は、海抜10mで設計されていたが、15mにすべきという意見もあったが、設計を変更すると多額の費用が掛かるということで、結局GEの設計どおりとなった。この決定が、40年後に未曾有の大惨事をもたらすとは、東京電力も想像できなかっただろう。東日本大震災時の津波は14.8mであったので、この5mの差が天国と地獄の分かれ目となった。女川原発は海抜15mに建設され、かろうじて津波の被害を免れたことを考えると、残念でならない。
  それではGEは、なぜ海抜10mで設計したのかといえば、アメリカでは津波は想定されておらず、竜巻から守るために非常用電源を地下に設置することが重要であった。皮肉にも、この地下に設置された非常用電源が津波で浸水し稼働せず、電源喪失となり原子炉に水を送れなかったことが、メルトダウンにつながった。原発は、電気と水が生命線であることを、改めて教えてくれた。東京電力は、安全神話に酔い、津波に対する認識が甘く、過小評価したことが、大惨事につながったことを、大いに反省しなければならない。
  福島第一原子力発電所の事故から学ぶべきことは、津波の恐ろしさと、電気と水の大切さと、風評被害の深刻さである。風評被害を大きくした一因に、原発に「県名」を付けたことにあるのではないか。もし、所在地の「町名」双葉原発であったならば、これほどの風評被害にはならなかったのではないか、検証が必要である。甚大な被害をもたらす原発事故は、二度と起こしてはならない。

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