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『豊臣秀次切腹事件』 (住職のブログ)
2024/06/30 (日)
6月18日、秀次の第430回忌を記念して「豊臣秀次と瑞泉寺」の展覧会が、京都国立博物館で始まった。秀次(1568~1595)は、秀吉の3つ年上の姉ともの長男として生まれ、子供のいなかった秀吉から可愛がれ、後継者として関白まで上り詰めた。しかし、淀君との間に実子秀頼が誕生したことにより、徐々に疎まれることになった。その結果、秀次が謀反を計画との嫌疑をかけられ、高野山に追放され、1595年7月15日秀吉の命により切腹させられた、享年28歳であった。
秀次の死は、8月2日京都三条河原での秀次の妻子側室39名の、公開処刑という悲劇を生んだ。この処刑の陣頭指揮を執ったのは石田三成で、秀次の晒し首に妻子側室を拝ませ斬首し、刑場に掘った穴に放り込むという、それは見る者が目を背ける地獄の光景だったと伝えられている。遺体はそのまま三条河原に捨て置かれ、「畜生塚」と呼ばれた。その後は、慶長16年(1611)に京都の豪商門倉了以が瑞泉寺を開山し、手厚く秀次と妻子側室39名の菩提を弔うまで、何ら顧みられることはなかった。この惨い仕打ちは、豊臣家滅亡の出発点となった。
秀次には33人の側室がいたが、その中に東国一の美女と言われた、山形城主最上義光の二女15歳の駒姫がいた。最愛の娘を惨殺された義光は、関ヶ原の戦い(1600)で東軍徳川方に付き、獅子奮迅の働きであった。関ヶ原の戦いは、義光にとって京都三条河原で露と消えた、駒姫の弔い合戦でもあった。そして、この処遇を不満に思い秀次と仲の良かった、東北の雄伊達政宗も東軍徳川方に付いた。関ヶ原の戦いに敗れた石田三成は、京都市中を引き回された後、10月1日に六条河原で斬首され、豊臣家の権威は失墜した。
秀次が生きていれば、関ヶ原の戦いは防げたのかも知れない。秀吉の死で豊臣家に残ったのは、3年後に63歳で亡くなる年老いた秀吉、そして3歳と幼い秀頼だけとなってしまった。その後の歴史を鑑みれば、豊臣家にとって秀次の喪失は大きな痛手であった。『豊臣秀次切腹事件』は、秀吉最大の汚点と言えるだろう。
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イスラエルとパレスチナ (住職のブログ)
2024/05/31 (金)
そもそも、イスラエルのユダヤ人とパレスチナのアラブ人は、アブラハムを祖とする異母兄弟である。旧約聖書によれば、アブラハムは神に対する絶対的信頼と服従により、「信仰の父」と呼ばれた。アブラハムと妻サラには、当初子供がいなかったので、妻サラの勧めに応じ女奴隷ハガルとの間にイシュマエルをもうけた。その後、妻サラとの間にイサクが生まれ、この二人の息子はそれぞれイシュマエルはアラブ人の先祖、イサクはユダヤ人の先祖となった。この結果、アブラハムはアラブ人とユダヤ人両民族の父となった。
旧約聖書の書き出しの「創世記」には、神による天地創造が語られ、その中に「神は自分に似せて人間を創造した」との一節がある。神様が人間を最初に創ったと書かれているが、その人間がこれほど争いが好きだったとは想像力できなかっただろう。イスラエルとパレスチナの紛争を見ていると、人間の「業」の深さを感じる。兄弟による「骨肉相食む」争いは、お互いを不幸にするだけで、本来の「業」である「未来に向かっての人間の努力」、和平への努力に期待している。
和平へのカギは、イスラエルに大きな影響力を持つ、アメリカが握っている。そして、アメリカに住むユダヤ人600万人は、イスラエルのユダヤ人の人口に匹敵し、金融界やマスコミに絶大な影響力を持っている。この影響力が、アメリカの政策決定にどのように反映されるのか、注目である。
新生日本の創出 (住職のブログ)
2024/04/30 (火)
4月28日は、日蓮聖人が建長5年(1253)千葉県清澄山で初めてお題目を唱えてから772年、立教開宗を宣言した記念すべき日である。今年の立教開宗会は、コロナ禍で中止が続いたので、5年ぶりの開催となった。お寺の年間行事は、コロナによってすべて中止となり、寂しい限りであったが、ようやく通常開催が可能となり、一安心である。コロナの影響で、葬儀や法事は家族だけで行われ、親戚や友人との関係が閉ざされてしまった。その結果として、人間関係が希薄となり高齢化と相俟って、社会全体の活力が失われてしまった。
人間は社会的動物であり、人との繋がりの中で生きているので、コロナによる日本社会や経済へのダメージは大きかった。巷では、34年ぶりの円安ニュースが溢れ、この傾向が永久に続くような雰囲気になっているが、歴史的に見れば1990年に付けた160円の円安も、5年後の1995年4月には79円の超円高を記録している。この年は、1月に阪神淡路大震災、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件と、社会を揺るがす大事件が起き、忘れられない年であった。
この超円高は、日本企業を直撃し工場の海外移転を加速させ、日本経済の空洞化を招く契機となった。この結果、若者の就職氷河期をを招き、失われた世代を生み出すこととなった。当時、本国寺檀家の中にも米国や欧州に転勤する話が出てきて、驚いた記憶がある。この話を聞いて、日本企業はアジアだけではなく、世界中に工場移転する時代になった事を、実感した。この一連の出来事は、親たちの世代には考えられない時代の到来を、告げるものであった。
日本は、昭和35年(1960)の池田首相の所得倍増計画のもと、親たちは驚異的な高度経済成長時代を謳歌してきた。この時代を知る親世代は、まさか失われた30年を経験するとは、夢にも思わなかった。景気の循環で、その内に景気が良くなるだろうと思っていたが、結果的には予想は見事に外れた。これからの30年は、今までの失敗を教訓に大リーグで活躍する大谷に習い、世界に冠たる新生日本の創出を目指さなければならない。
3月24日、大相撲春場所で尊富士が110年ぶりとなる、新入幕初優勝という歴史的快挙を成し遂げた。尊富士は、前日の取り組みで足を負傷し、救急車で病院に運ばれ、千秋楽の出場が危ぶまれていた中での優勝だけに、より一層の感動を呼んだ。尊富士の速攻相撲は魅力的で、東北青森が生んだ角界のスピードスターとして、大相撲を大いに盛り上げてもらいたい。今場所は、もう一つ嬉しい出来事があった。それは、時疾風(ときはやて)が宮城出身力士として、五城桜以来27年ぶりの新入幕を果たしたことである。こちらも来場所の活躍を楽しみにしている。
一方、東北岩手が生んだ野球界のスーパースター大谷選手は、ドジャース移籍でスポーツ選手として世界一の高給取りとなり、そして結婚と前途洋々と思われた。しかし、通訳の水原一平氏の違法賭博に巻き込まれ、水を差されてしまった。「好事魔多し」(良い事にはとかく邪魔が入りやすい)とはよく言われるが、世の中甘くないことを改めて思い知らされた。お釈迦様はこの世は「四苦八苦の娑婆」であると教えている、つまり、人生には苦労が付きものである。大谷選手が、この苦境をどう乗り越えるのか注目である。
このスキャンダルが明らかになったのは、韓国での開幕戦である。開幕戦でのベンチの中の水原通訳の様子がいつもと違い、顔色が悪く肌がカサカサで、どこか体調が悪いのかと見ていた。すると、突然「水原一平氏との契約解除」のテロップが流れた。一体何が起こったのか、ただ驚くばかりで信じられないニュースであった。大谷選手と二人三脚で今まで頑張ってきた姿を見ていただけに青天の霹靂であった。その後、水原通訳は「ギャンブル依存症」であることを告白し、違法賭博で多額の借金を作り、それを大谷選手が肩代わりして支払ったとの報道で、大騒ぎとなった。しかし、3月26日大谷選手が水原通訳の話がウソである事を表明し、ようやく鎮静化した。
先週一週間は、日本の国技である大相撲の尊富士の110年ぶりの衝撃的な優勝、米国の国技であるベースボール大谷選手のスキャンダルと、大変な7日間であった。それにしても、水原通訳の仕業は万死に値する。大谷選手がこの悔しさをバネにワールドシリーズ制覇という、最高のシーズンを送ることを願っている。