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混沌の韓国 (住職のブログ

2016/11/30 (水) 晴れ

 11月29日、朴槿恵大統領は、先日の史上最大200万人退陣要求デモを受け、任期をを待たず辞任することを発表した。このローソクデモは、大統領と友人崔順実との深い闇を照らしているように見える、前代未聞の大規模デモであった。一国の大統領が、一友人に与えた権力のカサの影響の大きさには、驚くばかりである。大統領の友人というだけで、これだけ権力を行使できる国の在り方には、疑問符が付く。
 これらのスキャンダルは、2年前のセウォル号事故の「空白の7時間」が、端緒となった可能性が大きい。セウォル号は、大統領と崔被告の蜜月関係の終わりの始まりを、暗示していたようである。混沌を招いた今回のスキャンダルは、自称先進国の韓国が本当の先進国になれるかどうか、天が与えた試練といえるだろう。

 

 そもそも、中国以上に儒教国家である韓国には、科挙の名残である「大学修学能力試験」がある。この全国センター試験は、国を挙げて警察や軍隊まで動員される、一大事である。なぜかといえば、この試験は現代版両班を決める、人生をかけた敗者復活戦なき、一発勝負だからである。それゆえ、崔被告の一人娘が権力をカサに、有名大学に裏口入学したことが、なおさら許せないのである。
 大学受験の合格・不合格が、その後の人生の勝者・敗者となる超学歴社会では、敗者となった国民は将来に希望を持てず絶望的になる。その象徴が「ヘル朝鮮」や「金のさじ、土のさじ」の流行語である。韓国には、「失敗は成功のもと」という言葉はないのだろうか。
 徳川家康の言葉に、「勝つことのみ知りて負けることを知らざれば、害その身に至る」というのがある。家康は、三方が原の戦いで武田信玄にぼろくそに負けた、苦い経験がある。その経験から生まれた言葉なのだろうが、負けることの意味は深い。ようするに、勝つことのみ知れば自信過剰で天狗になってしまい、油断が生じ思わぬ大敗を喫するという教訓である。

 

 崔被告の大失敗は、家康流にいえば、自信過剰で天狗になり、大統領がバックにいるという油断が招いた結果といえる。何事も油断は大敵なのである。

大川小の悲劇 (住職のブログ

2016/10/30 (日) 晴れ

 10月26日、東日本大震災で犠牲になった、大川小学校児童の遺族が訴えた裁判の判決が、仙台地裁で出された。その内容は、「教員らは大津波の襲来を予見でき、裏山に児童を避難させるべきだった」と学校側の責任を認め、石巻市・宮城県に14億の賠償を命ずる判決であった。それは想定外だからといって、罪を免れることは出来ないという、教育現場への警鐘である。石巻市・宮城県のこれからの対応に注目である。

 

 大川小を一度でも訪れたことのある人は、この判決は理解できるだろう。私自身、大川小の校庭に立った時、すぐ裏は山、そこには小道が通り、誰でも容易に登ることができる。なぜ、北上川の堤防道路に向かったのか、大きな疑問が残った。そして、津波が来るまでの50分間、この校庭で何があったのかを知りたいと思った。その経過を知ることは、これから起きるであろう大地震大津波時のマニアル作成に、大いに役立つからである。児童74名の尊い命をムダにしない為にも、徹底した検証が望まれる。なぜ、このような致命的な判断ミスが起きたのかを、解明してもらいたい。
 そもそも、石巻市は津波に対する認識が甘かった。その象徴が、東日本大震災で被災し機能しなかった石巻市立病院の立地に、見ることができる。海抜Oメートル・すぐ前は海・脇は北上川河口と、津波のことを考えたら、とても病院は立てられない。それは、高台に立つ隣町の女川町立病院と比較すれば、一目瞭然であった。十数年前、初めて石巻市立病院を訪れた時の、そんな思いが現実となり、なんとも複雑な気持ちである。大川小の悲劇は、津波を軽視して行政を行ってきた、石巻市当局にも責任の一端はあるだろう。

 

 大川小には、避難する場所と時間が十分あっただけに、残念でならない。この悲劇を教訓に、「火の用心」だけでなく、「津波用心」も対の標語として、後世に伝え広めなければと思っている。

人口減少の考察 (住職のブログ

2016/09/30 (金) 晴れ

 9月25日、NHKスペシャルで「縮小日本の衝撃」という、刺激的タイトルの番組が放送された。その中で、人口減少の影響が最も端的に表れている、北海道夕張市の苦悩する姿が紹介されていた。そして、人口減少に最も縁どういと思われた、東京都豊島区の将来像も紹介され、東京も例外ではないことを思い知らされた。この番組を見ていると、日本の行く末が心配になる。昭和30年代に、日本の人口がこのまま増加し、1億人を突破すれば、この小さな国土で養えないと心配した頃がなつかしい。
 それでは、日本の歴史の中で、人口減少時代がなかったかといえば、実は18世紀がそれに当たる。18世紀初頭は、元禄関東大地震津波(1703年)宝永大地震津波(1707年)富士山大爆発(1707年)と大災害が続き、それに加え幕府の財政危機と、今と時代状況が酷似している。この状況を打破したのが、徳川8代将軍吉宗で、その功績により徳川幕府中興の祖と言われている。吉宗は度々テレビ等で登場するが、その裏の顔は意外と知られていない。それは、ドラマの中の吉宗からは想像できないが、農民を苦しめた大増税将軍としての顔である。

 

 18世紀の人口減少社会を救ったヒーローは、前半は吉宗後半は田沼意次と考えているが、意次は吉宗と反対に、ワイロ政治家としての一面だけが強調されているが、商工業を育て日本の近代化の基礎を作った政治家として、もっと評価されてしかるべきである。意次が活躍した時代、海の向こうのイギリスでは産業革命が起こっている、田沼意次の再評価が待たれる。
 この所、人口減少の社会・経済面のマイナス部分だけが強調されるが、自然災害が多発する現状を見ればプラスの側面もある。それは、人口増加によって危険な場所に住まざるをえなかった住民を、より安全な場所に住むことができる、国土利用の転換をはかる、よい機会になることを忘れてはならない。

不都合な現実 (住職のブログ

2016/08/31 (水) 晴れ

 8月2日、河北新報の“声の交差点”に「若林城跡を観光名所に」と題した、私の投稿が掲載されたので、何が不都合な現実なのか、ご理解いただければ幸いです。ご一読下さい。

 

 『昨年7月、NHKの番組「ブラタモリ」を見て、伊達政宗公の晩年の居城「若林城」の跡が宮城刑務所(仙台市若林区古城)になっていることに、改めて違和感を覚えた。
 宮城刑務所の前身の宮城集治監が建てられてから137年。今では周りを住宅に囲まれ、建設当時の状
況とは様変わりしている。敷地内に名木「臥龍梅」や「蟠龍の松」があるが、市民が気軽に立ち寄って見ることができない。こうした不都合な状態を変えるには、公園化することが望ましいと思う。
 城跡が刑務所になっているのは、全国でもここだけであり、決して誇るべきことではない。若林城が今後も刑務所として存続するのが良いのか、考える時期に来ているのではないだろうか。
 7月1日に仙台空港が民営化され、海外からの観光客増加が期待されている。奇しくも宮城刑務所内の2本の名木には、中華圏の人々が好きな「龍」の文字が入っている。この歴史的遺産をこのまま眠らせておくには、誠にもったいない。
 2035年の伊達政宗公400回忌までには、若林城跡を、市民や観光客が訪れる名所として蘇らせたいものである。』

 

   この投稿は、不都合な現実から理想の城跡への道標になればと思い書きました。そして、このような問題があることを、多くの人に知ってもらえれば、嬉しい限りです。将来、若林城跡がそれにふさわしい施設として、蘇生されることを願う一人です。 先日も、東北6件の知事が台湾を訪れ観光PRを行っていましたが、同時に魅力ある観光地を生み出す努力も必要です。この2本の名木は、貴重な観光資源として、訪日観光客を引き付ける役割を、十分担うことができると考えています。この不都合な現実を折に触れ、これからも様々な所でお話したいと思っています。

注;音で「蟠」は漢音で「ハン」、呉音で「バン」と読む。意味は「龍のくねる姿」を表す。
  訓で「わだかま」ると読む。意味は「不平・不満などが解消されないで残る」こと。

 

 

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