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サッカーアジアカップ (未分類

2011/01/27 (木) 晴れ

 1月25日に行われた、サッカーアジアカップ準決勝、宿敵韓国との戦いに、久しぶりに興奮した。

 今大会の戦いぶりを見ていると、あきらめない気持ちがいかに大切かを教えてくれる。よく短期間のうちに、これだけ強くなったものだと感心する。プロサッカーJリーグが発足して18年、日本サッカー成功の蔭には、日本人2千年のDNAが刻まれている。短期間に外国のすぐれた学問・技術を取り入れ、それを自分達のものにする流儀が生きている。
 古くは仏教伝来、渡来人に学び仏教国に変身させた、その象徴は奈良東大寺の大仏建立である。近くは明治維新、お雇い外国人に学び富国強兵・殖産興業を成し遂げ、近代国家に変身させた。これらの流儀が、日本サッカー近代化にも脈々と受け継がれている。すぐれた外国人監督や選手を招請し、使われながらも使いこなし、魂の触れ合う術を知っている。日本人は、昔から外国人の使い方が巧である。それは、19世紀に共に近代化を目指した、中国と比較するとよくわかる。
 日本は和魂洋才、中国は中体西用の精神で近代化が始まった。和魂洋才は、日本人の魂を堅持しつつ、西洋の学問・技術を学ぶこと。中体西用は、体制を堅持しつつ、西洋の学問・技術を利用すること。今、中国がとっている政策である。共産党一党独裁を堅持し、先進国の資本・技術を利用している。しかし、この方法は一見成功しているようにも見えるが、奥義を究めることはできない。発展を確実なものにするには、謙虚に学ぶことが重要である。それがなければ、魂の触れ合いは生まれない。傲慢な人間に、師匠は一般的なことを教えても奥義は伝授しない。中国は、19世紀の近代化失敗を教訓しなければ、又、同じ轍を踏むことになる。

 サッカー代表チームには、その国のお国柄がよくあらわれる。2004年、日本にならいプロサッカーCリーグを発足させた中国、その戦いぶりが近代化のバロメーターになる。たかがサッカーされどサッカーである。

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