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梅雨と株 (住職のブログ 未分類

2015/07/31 (金) 晴れ

7月26日、東北南部の梅雨明けが発表されたが、何とも拍子抜けする発表であった。梅雨入りから1ケ月余り、梅雨らしい日は数えるほどで、よい天気が続いたからだろう。近年、地球温暖化に伴う気候変動の影響もあるのか、「梅雨入り」「梅雨明け」の意味合いが、薄れているように感じる。この慣習も、そろそろ見直しても、よい時期ではないかと、思っている。
上下水道やクーラーや冷蔵庫がなかった時代には、梅雨の時期に生水や腐った食べ物で、食中りで亡くなる人も多く、注意を促す意味で必要性があったのだろうが、今となってはその心配もほとんどなくなった。中国で生まれ、江戸時代に日本に伝わった「梅雨」も、賞味期限切れである。今年の梅雨は、中国から伝わる株式情報の方が、よっぽど鬱陶しい。
中国政府が打ち出す株価対策には、本当に驚かされる。何でも有りの世界である。アダム=スミスの「神の見えざる手」が勝つのか、習近平の「絶対権力」が勝つのか、市場は固唾を呑んで見守っている。共産党が行う資本主義市場経済は、前例がないだけに、これからどうなるのか予測がつかない。
一つだけいえることは、中国共産党を守るためには、「全知全能」を傾けるということである。その「全知全能」が、「全痴全悩」にならないことを祈る。今、話題の爆買いとともに、中国株式市場の梅雨明けなるか、梅雨の家元中国に注目である。 それにしても、中国人の頭脳は「図能明晰」である。日本人には、到底マネができない。中国株式市場は、「上の見える手」習近平に託された。
来月はお盆、この状況に共産主義者のご先祖、マルクスや毛沢東も、さぞビックリしていることだろう。現在の中国が、共産主義が理想とする社会なのか、反省する必要がある。 この異常事態を収拾し、バブル崩壊を防ぐには、株式をすべて国が買い取り、市場を廃止することである。本来の、社会主義計画経済に戻れば、マルクスも毛沢東もきっと喜ぶだろう。

怪物 逸ノ城 (住職のブログ 未分類

2014/10/31 (金) 晴れ

10月27日、日本相撲協会は、新番付を発表し、新入幕で13勝2敗の好成績をおさめた逸ノ城が新関脇となり、西関脇に座った。新入幕翌場所の新関脇昇進は、大相撲百年の歴史で初めての快挙である。大横綱白鵬と比較すると、身長は同じ192センチであるが、体重は199キロで、白鵬より40キロ重い、巨漢力士である。力士の理想体重は、一般人の理想体重の2倍といわれる、それで計算すると、白鵬は理想体重であるが、逸ノ城はかなりの体重オーバーである。

 

過去、巨漢力士といわれた小錦・山本山は、一般人の理想体重の3倍を超えて、引退した。体重が増えすぎると、どうしてもケガが多くなり、治りも遅くなる。逸ノ城の死角は、体重のコントロールにあると思っている。大横綱を目指すのなら、これ以上体重を増やさないことが、絶対条件である。所属する湊部屋の「おかみさん」が、お医者さんということもあり、体調管理のプロなのは心強い。今、逸ノ城は「怪物」と持て囃されているが、本物の怪物になるには、まだまだ幾多のハードルが待ち受けている。しかし、将来の大相撲を担う逸材であることには、違いない。


それにしても、横綱はモンゴル出身力士ばかりで、日本人力士の台頭が待たれる。その筆頭は遠藤であるが、先場所の相撲みれば、心もとない。実力より人気が先行してしまい、潰されないか心配である。大相撲をもっと盛り上げるには、どうしても日本人横綱の誕生が必要である。相撲協会をはじめ、各部屋の親方達の奮闘を、期待したい。


大相撲をみていると、面白い事に気付く。客の入りが、世の中の景気に連動する。アベノミクスが始まった頃から、徐々に客が増え始めた。この頃は、大入満員の日が多くなり、景気の回復を感じさせる館内である。これからも逸ノ城の快進撃が続くのか、日本経済の行方と共に注目である。

 

Hello world! (未分類

2012/06/19 (火)

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立教開宗会 (未分類

2011/04/27 (水) 晴れ

 4月28日は、日蓮宗の誕生を祝う立教開宗会である。

 当山でも毎年行ってきた行事であるが、大震災から日が浅く、被災した人も多いので、開催するかどうか一時は悩んだ。しかし、3月11日に亡くなられた方々の49日忌に当たるので、慰霊法要を兼ね開催する事にした。今年は、そういう意味で特別な立教開宗会である。悲しみから希望へと、気持ちが切り替わる節目になればと思っている。
 今回の大震災の犠牲者は、ほとんどが津波による溺死である。仙台平野の津波の歴史は、過去3000年に4回ほど大津波に見舞われたと考えられている。その中で一番規模が大きかったのが、貞観津波(869年)である。今回の平成津波は、これをも凌駕し日本史上最大の津波であった。昨年10月、現在の仙台市の避難所指定場所が、貞観級の津波がくれば危険であるという、東北大学の調査結果がでた。その結果を受け、今年から見直し作業が始まる矢先の平成津波であった。1142年前の貞観津波が、こんなに身近に感じられるとは、なんとも妙である。大震災がもたらした思いもよらない心象風景である。「地球にいいようにやられた」(1142年)と覚えておこう。
 1ヶ月前には、ガソリン不足で閑散としていた道路も、今では震災前以上に混雑し、ようやく復興の兆しが感じられる今日この頃である。それにしても、仙台の市街地(旧市内)は大きな被害も無く、本当に地震に強かった。

 この地に城下町を築いた伊達政宗に感謝しなければならない。

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