ごあいさつ

  本国寺が建立されてから80年余、1978年の宮城沖地震をはじめ、数多の自信を経験してきました。2011年3月11日の東日本大震災のい揺れは千葉県外房にある大本山小湊誕生寺に残されている1703年の元禄関東地震の「大揺れは3度、小揺れは数と知らず、一刻の中に3、40揺りに及ぶ」の記録を彷彿とさせるものでした。
 このような揺れによって、本堂や従来の墓地は被害を受けましたが、好縁墓は奇跡的に被害がありませんでした。好縁墓は、仙台市街地が一望できる東斜面に造成したので、地震対策には万全を期しました。今回の地震で証明され、ほっと胸をなでおろしています。その対策とは2千トンの土を取り除き、岩盤の上に擁壁の基礎を築き、地滑りしにくい土に取替えて埋め戻しました。そして、擁壁にあまり土圧をかけないよう、墓石は小さく軽くしました。ネット墓参で注目される好縁墓ですが、実は地下にこそ真骨頂があるのです。
 現在、好縁墓は百名程の方が使用していますが、三分の一が永代使用、三分の一が一代使用、三分の一が永代供養の比率になっています。多様化する家族の状況がお墓にも表れ、非常に興味深い結果になっています。

 これからも、家族に寄り添うお墓を目指す所存でございますので、何なりとご相談くださいますようお願いいたします。

平成24年8月8日
本国寺住職 草野弘有

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住職のプロフィール

本国寺住職  草野弘有 (くさの こうゆう)
創造的なことが好き。人とお話しをするのが好き。人と同じことをするのが嫌い。

好きな言葉
「 若し深く世法を識れば、これ仏法なり」 (日蓮聖人・開目抄)
「 人の一生は重き荷を背負うて、遠き道を行くがごとし 急ぐべからず」 (徳川家康の遺訓)

好きなチーム
楽天イーグルス(野球)、ベガルタ仙台(サッカー)

日蓮聖人とは

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 日蓮宗の開祖である日蓮聖人は、「法華経」の教えを戦さや天災、疫病に悩まされていた鎌倉時代の世に実践して、命がけの布教に生涯を捧げられました。
本来このような状況を救う仏教も種々の教えに分裂し何の力も果たし得ていないと疑問を感じられた聖人は、遠く比叡山に赴き全ての経典を紐解きます。そしてついに、法華経こそが釈尊の本意を説きあらわした真実の教えであり、今の乱れた時代を救う唯一の教えであることを見出すのでした。

法華経は、現実を積極的に肯定していこうとする教えであり、現実社会が仏国土であることを説いています。法華経の教えを通して現代の社会を見つめていけば、自然とその活路が見出せます。

法華経

八巻二十八品からなり、第1章から第14章までを迹門(しゃくもん)といい、第15章から終わりまでを本門(ほんもん)といっている。迹門で諸法実相をもとに人間の平等を説き、本門では諸法実相の世界観を根底にして、久遠の如来を説き、この仏によって知見された世界こそ、真実実相を示すものであると説いている。

日蓮宗

末法の衆生は「法華経」を信じて、実践することにより、初めて人々は救済されるものと強調しており、また個人の救済だけではなく、仏の教えによって、仏法に逆らうものを屈服させ、社会・国家全体を良くしてこそ、個人も救われるとしている。日蓮が元軍(蒙古軍)の来襲があると予告して「立正安国論」で、ときの北条政権に忠告したが聞き入れられず、数々の法難ののち、身延山に久遠寺を建立して日蓮宗の道場とした。

日蓮聖人の生涯

誕 生(1222 年)

千葉県安房郡小湊に漁師の家に生まれる。幼名・善日麿。

12 歳(1233 年)

天台宗清澄寺にて出家し、虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となしたまへ」と立願。

16 歳(1237 年)

出家して是聖房蓮長と号す。

32 歳(1253 年)

清澄寺に帰り、持仏堂の南面で「南無妙法蓮華経」と唱えて開宗し、「法華経」を釈尊が説いた経典のうちで、最高の経と認めて、その教えを実践することが真実に生きる道であるとしている。

39 歳(1260 年)

「立正安国論」を北条時頼に献じる。四大法難が始まる。

50 歳(1271 年)

龍口法難・佐渡流罪。

53 歳(1274 年)

身延へ入山。

61 歳(1282 年)

東京池上で入滅。

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