住職のブログ

失われた30年 (住職のブログ

2024/02/28 (水)

2月22日猫の日、東京株式市場は、バブル期の1989年12月29日に記録した38,915円の最高値を、34年ぶりに更新した。日本の失われた30年の間に、米国株は14倍ドイツ株は9倍韓国株は3倍となっていたので、日本株低迷は一目瞭然である。バブルがはじけた1990年、まさかこれほど長く日本経済が停滞するとは、予想できなかった。今の中国を見ていると、当時の日本人のメンタリティーと同じように、高度成長の夢から覚めるのには、もう少し時間がかかるだろう。日本は、バブル崩壊から立ち直るのに、時間がかかりすぎたことを、反省しなければならない。
 今回、史上最高値をけん引したのは、半導体関連銘柄と言われているが、バブル崩壊の前兆となったのも、アメリカによる日本の半導体つぶしであったことを考えると、歴史の皮肉を感じる。当時アメリカは、日本との大幅な貿易赤字を抱え、その是正のため日本に貿易戦争を仕掛けてきた。今、アメリカが中国に仕掛けている貿易戦争も、当時の日本へのやり方とよく似ている。日本は、アメリカから高い関税をかけられ、アメリカへの輸出が困難になった。その結果、日本国内では企業の海外移転が進み、就職難と消費不足そこに円高が重なり、デフレ経済が慢性化した。中国も日本と同じ轍を踏むのか、注目である。
 失われた30年でよかったことは、スポーツ界の躍進、特にサッカーJリーグは、30年で目覚しい発展を遂げ、アジアNO1の地位を確立した。しかし、「好事魔多し」格言通り、今回のアジアカップでは、優勝候補と言われたがベスト8で終った。この大会での失敗は、GK鈴木を起用しづけたことである。初選出の21歳のGKには、真剣勝負は荷が重すぎた。鈴木は一番年下で、先輩のDF富安や板倉への遠慮があり、コミニケーションやコーチングが不足し、全試合の失点につながった。日本社会では、まだまだ「長幼の序」が生きていることを、森保監督は考慮すべきであった。来月始まるワールドカップ予選では、この失敗経験をしっかり生かしてもらいたい。
 失われた30年を経験した日本経済は、最高値を更新したことに浮かれることなく、これからの30年でJリーグと同じように躍進し、株価が2倍3倍になることを期待している。ウオール街の格言に、「強気相場は絶望の中で生まれ、懐疑とともに育ち、楽観により熟し、陶酔のうちに終わる」とあり、今の日本の相場は「懐疑とともに育っている」と考えられるので、楽しみにしている。これからの日本経済が、黄金の30年になることを願っている。

能登半島地震 (住職のブログ

2024/01/30 (火)

1月1日、群発地震が続いていた能登半島がM7.6の大地震に見舞われた。石川県は、地震の少ない地域と言われてきただけに青天の霹靂だろう。能登半島の家屋は、北陸地方独特の黒い瓦屋根で雪や風には強いが、地震には脆かった。石川県は、企業誘致のHPで「石川県の地震リスクは小さい」と説明していたが、不思議なことに熊本県も同じ企業誘致のHP内容であった。この事は、日本中どこでも危険であることを示している。日本に住んでいる限り、地震対策は必要不可欠であることを、肝に銘じなければならない。
 地震の多い宮城県は、昭和53年(1978)の宮城沖地震で、瓦屋根の家が大きな被害を受けたので、今では新建材の屋根がほとんどである。地震対策で一番有効なのは、屋根を軽くすることである。北陸地方の屋根も、今回の経験を契機に地震対策を見直す必要がある。日本列島は、静穏期から活動期に入り、地震が頻発する時代になったことを、自覚しなければならない。能登半島の地震被害の映像を見るにつけ、命を守るためにも地震対策の必要性を、改めて考えさせられた。
 それでは、いつから日本列島が活動期に入ったのか、その転換点になったのは、1995年の阪神大震災である。これ以降、大小様々な地震災害が起き、その象徴は2011年の東日本大震災である。東日本大震災は、M9。0死者・行方不明者2万人と未曾有の大惨事となったが、この二つの大震災には興味深い共通点がある。阪神大震災は社会党の村山首相、東日本大震災は民主党の菅首相と、自民党が政権を失った時に起きている事である。「二度あることは三度ある」の格言に照らせば、次に大震災が起きるのは、野党が政権を取った時なのだろうか。「神のみぞ知る」である。
 今、巷で心配されている大震災は、南海トラフ巨大地震である。この巨大地震は、東海地震・東南海地震・南海地震の三連動で、東海地方から九州地方まで広範囲に及び、日本経済に甚大な被害をもたらすことが、危惧されている。一番の心配は、東京~大阪間の大動脈でる東名高速道路と東海道新幹線が地震と津波によって静岡県で寸断されることである。その対策として第二東名高速道路とリニア新幹線が建設されている。しかし、静岡県川勝知事の反対によって、2027年のリニア新幹線の開業が絶望視されている。南海トラフ巨大地震が来る前に、完成することを心より願っている。川勝知事が、これからどんな判断を下すのか、注目である。

満年齢と数え年 (住職のブログ

2023/12/30 (土)

12月23日、当山の星祭り開運祈祷会が、コロナ渦の人数制限から開放され、通常通り開催された。この行事は、数え年で来年の運勢を占い、開運を願うものである。しかし、今では「満年齢」が当たり前となり、「数え年」がよくわからず混乱してしまうようである。満年齢は、「基数詞」で0から始まり誕生月で年を取る。数え年は「序数詞」で1から始まり正月で年を取る。室町時代の禅僧である一休さんの句に「正月や冥土の旅の一里塚」めでたくもありめでたくもなし」があり、正月に年を取っていたことがわかる。

 ※それでは、いつから満年齢が取り入れたのかといえば1961年(昭和36年)に始まった3歳児検診である。3歳児健診をする時、数え年では不都合が生じるので、満年齢を取り入れたという経緯がある。同学年の大谷翔平と羽生結弦の場合で考えてみると、なぜ不都合なのか理解できるだろう。大谷は1994年7月5日生まれ、羽生は1994年12年7日生まれで5カ月違う。この二人を数え年3歳で健診すれば、正月で年を取るので大谷は生まれてから1年6カ月後の数え年1996年の正月で3歳、同じく羽生も1年1ヵ月後で3歳となる。同じ3歳ながら5ヶ月違いの子供を比較したのでは、正確な3歳児健診にはならない。満年齢で行えば、1997年の誕生日に二人共満3歳になるので、正確に発育状態を比較できる満年齢が取り入れられた。

 ※なぜ、これ程短期間で満年齢が一般に普及したのかといえば、数え年より1歳か2歳若く言えることが大人にとって魅力的であったからである。瀬戸内寂聴さんが生前満年齢になったことで歴史小説を書く時に大変不便であるとなげいていた。登場人物の年齢を書く場合、その人物の誕生日をいちいち調べなければならず、面倒であることは確かである。数え年ならば、正月で年を取るので扱いが容易である。星祭りを満年齢でやれば、誕生月で年齢が変わってしまうので、その年の運勢を占っても1年間ではなく誕生月までとなってしまう。

 ※もうすぐお正月だが、満年齢になったお陰で「お年取り」がすたれ、お正月を迎える気分を味わえなくなって、淋しい限りである。

十字軍 (住職のブログ

2023/11/30 (木)

11月24日、イスラエルとハマスの間で、4日間の戦闘休止で合意した。毎日人質が解放され、家族と再会する映像が流れているが、戦闘休止がいつまで続くのか、注目である。今まで百人ほどの人質が解放されたが、全員が解放されるまで、予断を許さない日々が続く。中東は「火薬庫」と言われ、紛争が絶えない地域である。イラク戦争の時、フセイン大統領によって日本人が人質に取られたことを思い出し、平和な日本に生まれたことに感謝である。
 なぜ、紛争が絶えないのか、時代を遡れば11世紀末から13世紀まで、7回行われた十字軍に起因する。当時、エルサレムはイスラム勢力によって支配され、キリスト教徒にとって望ましい状況ではなかった。この状況を打破しようと、1096年ビザンツ帝国のアレクシオス1世が「聖地エルサレム奪還」を旗印に、ローマ教皇ウルバヌス2世に援助を求めた。その時、ウルバヌス2世は聖地奪還に参加する兵士に、十字架を付けることを命じたのが、「十字軍」の始まりである。
 第1回目の十字軍は、1099年5月にエルサレム奪還に成功するが、内実は行く先々で略奪を繰り返し、聖戦と呼べるものではなかった。十字軍は、住民を無差別に虐殺し「血の海」にしたと言い伝えられている。そして、イスラム教徒にとって聖地である「岩のドーム」まで襲撃され、十字軍は恐怖の対象以外の何物でもなかった。この出来事が、今でもイスラム教徒の記憶に刻まれ伝えられ、今回のイスラエルによる無差別爆撃が重なって見えるのだろう。
 第1回目の十字軍によって奪還されたエルサレムだが、その後イスラム勢力に奪還され、結局7回にわたる十字軍は失敗に終わった。それから700年、イスラム勢力に支配されたパレスチナに、1948年イギリス、フランスによってイスラエルが建国された。イスラエル建国は、イスラム教徒にとって招かざる客であり、受難の歴史の始まりであった。イスラエルは20世紀の十字軍で、過去の記憶を呼び起こす悪夢となった。
 イスラム教徒は、十字軍のキリスト教徒に虐げられ、今度はイスラエルのユダヤ教徒に虐げられるという被害者意識は、中国に千年にわたって虐げられた朝鮮の「恨」の感情に似ている。イスラム教徒の「恨」は、宗教が根底にあるだけにより根深いといえるだろう。

 


 

 

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