住職のブログ
総裁選挙 (住職のブログ)
2024/09/30 (月)
9月27日、自民党総裁選挙が行われ、石破茂元幹事長が5回目の挑戦で、第28代自民党総裁に選出された。第1回目の投票では、高市早苗経済安全保障担当相に敗れたが、決選投票で逆転し、念願の自民党総裁の座に就くことができた。今回は、最後の挑戦ということもあり、背水の陣でのぞんだ結果、時の運も味方し、予期せぬ勝利をもたらした。総裁選の序盤は、小泉進次郎氏が圧倒的に有利と言われたが、若さゆえの経験不足と力量不足が露呈し、徐々に支持を失っていった。後半戦は、高市氏が史上初めての女性総理誕生かと期待されたが、あと一歩及ばなかった。その一因となったのは、「総理になったら直ぐに靖国神社に参拝する」という発言であった。総理が靖国神社を参拝すれば、中国・韓国そして米国を刺激し反発を招くことは確実で、日本外交を難しくするだけである。
そもそも靖国神社は、1869年(明治2)戊辰戦争で戦死した神霊(みたま)を慰霊する為、東京招魂社として建立され、その後1879年(明治12)に靖国神社と改称された。しかし、日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦を経て、慰霊から顕彰へと変化し、第二次世界大戦の戦死者は「英霊」として祀られた。一番の問題は、1978年(昭和53)にA級戦犯を「英霊」と合祀(ごうし)した事である。A級戦犯を「英霊」とした事が、日本は戦争を反省していないと思われたのである。
日本では、亡くなれば皆ホトケとなるが、諸外国では罪人は永久に罪人である。この宗教観の違いが、問題の本質にある。この日本人の宗教観を、外国人に理解させることは非常に難しい。ドイツは、ナチスを徹底的に否定し戦争への反省を示したが、残念ながら日本はできなかった。戦争への反省を示す為、A級戦犯を合祀してはならなかったのである。宗教観の違いが、この問題をより複雑にし解決を難しくしている。
石破新総裁の登場は、小泉元総理誕生の時とよく似ている。当時、森元総理の人気が低迷し、自民党の危機といわれた状況が、変人といわれた小泉総理を誕生させた。今回の総裁選挙も、旧統一教会問題や裏金問題で自民党の危機がささやかれている状況が、嫌われ者といわれた石破氏に味方したと言えるだろう。自民党は、疑似政権交代する事で、危機を乗り越えようとしている。自民党は、柔軟でしたたかであると同時に、摩訶不思議な政党である。
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先祖崇拝 (住職のブログ)
2024/08/31 (土)
8月20日、当山では5年ぶりに、お盆の行事である卒塔婆先祖供養の施餓鬼法要を、参列者制限なしで営んだ。コロナの影響により、ごく少数の参列者だけの法要が続いていたが、ようやく通常に戻り一安心である。先祖供養は、日本人にとって先祖を偲び感謝の誠を捧げる、大切な仏教行事である。それでは、なぜ先祖供養をするのかと言えば、先祖崇拝が日本人の宗教の核心を形成しているからである。その中心の行事であるお盆は、先祖の墓参りをするために、民族大移動の帰省ラッシュが起きる、一大イベントである。
世界の様々な民族の宗教は、「あなたは誰のお陰で存在していますか」に対する答えである。日本人にこのように問えば、ご先祖・両親のお陰と答えるでしょう。それでは、旧約聖書を共通の聖典とする、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教徒を信仰している民族に同じように問えば、彼らは神のお陰と答えるでしょう。なぜなら、旧約聖書の創世記に、「神は自分に似せて人間を創造した」と書いてあり、人間を創造した神を否定したら、自分の存在はないと考えるからである。彼らにとって、神が最初に人間を創ったが故に、神は絶対なのである。日本流にいえば、神様孝行しなさいよという宗教と言えるだろう。
日本人の先祖崇拝は、お盆・お彼岸・年回法要の仏教行事を通じて、先祖との絆を結ぶ。年回法要は、1周忌に始まり第33回忌をもって修了する。第33回忌を弔い挙げ、弔い修めという。それでは、なぜ第33回忌で終了するのかは、どんな仏教書を読んでもはっきりしない。一つ考えられるのは、朝鮮に「先祖崇拝をし過ぎて国が滅んだ」という諺がある。朝鮮では、5代前までの先祖の祥月命日に、毎年供養するという習慣があった。これを忠実に行えば、何が起きるか。家の長男は、先祖供養をするためだけに生きているようなもので、働くこともできずに貧乏になってしまう。これを皮肉って、このような諺が生まれたのだろう。
日本人は、朝鮮を反面教師として、先祖崇拝やりすぎの弊害を見て、33年の期限を設けたのではないのだろうか。
老老対決の終焉 (住職のブログ)
2024/07/26 (金)
7月21日、再選を目指してきたバイデン大統領が、選挙戦からの撤退を表明し、ハリス副大統領を支持すると発表した。バイデン大統領の高齢による心身の衰えは、これまでの一連の映像でも明らかで、素人目で見ても2期目を勤め上げるのは、無理ではないかと思っていた。アメリカ大統領の世界における影響力の大きさや、激務を考えるとなおさらである。バイデン大統領の撤退で、今度はトランプ氏の高齢問題が脚光を浴びることになる。トランプ氏は、「老いぼれバイデン」と散々罵ってきたが、今やその言葉がブーメランとなって返ってくる、因果はめぐるである。なにせ、ハリス氏はトランプ氏より20歳若く新鮮である。
ハリス氏は、黒人・女性・アジア系と多様性を象徴する人物で、インドの古代語であるサンスクリット語で「ハスの花」を意味する「カマラ」と名付けられた。サンスクリット語は、仏教を学ぶ上で必修なので、親しみを感じる。ハリス氏は検事出身なので、多くの容疑をかけられ裁判中のトランプ氏にとって、手ごわい相手となるだろう。トランプ氏は、バイデン大統領を「米国史上、群を抜いて最悪の大統領」と罵倒してきただけに、バイデン氏の撤退は痛手で、戦略の見直しは必至である。検事として培ってきた、舌鋒鋭いハリス氏との討論会は見ものである。
一方、トランプ氏は、共和党大会最終日の指名受託演説で、暗殺未遂事件について「全能の神の恩寵により、私は皆様の前に立っている」と神妙に神への感謝を口にした。トランプ氏は、信仰とは無縁と思われていただけに、意外な言葉であった。暗殺未遂事件は、これまでの破天荒なトランプ節を封印する契機になったのかと思いきや、どうやら三日坊主で終わったようである。やはり、トランプはトランプであり、本性は死ぬまで変わりそうもない。トランプ劇場は、11月5日の投票日まで続きそうなので、楽しみである。
ハリスとトランプの戦いは、検事と被告の対決という前代未聞の大統領選挙で、、どんなドラマになるのか興味が尽きない。今回の大統領選挙を考える時、安倍元首相を失ったことは、返す返すも残念でならない。
『豊臣秀次切腹事件』 (住職のブログ)
2024/06/30 (日)
6月18日、秀次の第430回忌を記念して「豊臣秀次と瑞泉寺」の展覧会が、京都国立博物館で始まった。秀次(1568~1595)は、秀吉の3つ年上の姉ともの長男として生まれ、子供のいなかった秀吉から可愛がれ、後継者として関白まで上り詰めた。しかし、淀君との間に実子秀頼が誕生したことにより、徐々に疎まれることになった。その結果、秀次が謀反を計画との嫌疑をかけられ、高野山に追放され、1595年7月15日秀吉の命により切腹させられた、享年28歳であった。
秀次の死は、8月2日京都三条河原での秀次の妻子側室39名の、公開処刑という悲劇を生んだ。この処刑の陣頭指揮を執ったのは石田三成で、秀次の晒し首に妻子側室を拝ませ斬首し、刑場に掘った穴に放り込むという、それは見る者が目を背ける地獄の光景だったと伝えられている。遺体はそのまま三条河原に捨て置かれ、「畜生塚」と呼ばれた。その後は、慶長16年(1611)に京都の豪商門倉了以が瑞泉寺を開山し、手厚く秀次と妻子側室39名の菩提を弔うまで、何ら顧みられることはなかった。この惨い仕打ちは、豊臣家滅亡の出発点となった。
秀次には33人の側室がいたが、その中に東国一の美女と言われた、山形城主最上義光の二女15歳の駒姫がいた。最愛の娘を惨殺された義光は、関ヶ原の戦い(1600)で東軍徳川方に付き、獅子奮迅の働きであった。関ヶ原の戦いは、義光にとって京都三条河原で露と消えた、駒姫の弔い合戦でもあった。そして、この処遇を不満に思い秀次と仲の良かった、東北の雄伊達政宗も東軍徳川方に付いた。関ヶ原の戦いに敗れた石田三成は、京都市中を引き回された後、10月1日に六条河原で斬首され、豊臣家の権威は失墜した。
秀次が生きていれば、関ヶ原の戦いは防げたのかも知れない。秀吉の死で豊臣家に残ったのは、3年後に63歳で亡くなる年老いた秀吉、そして3歳と幼い秀頼だけとなってしまった。その後の歴史を鑑みれば、豊臣家にとって秀次の喪失は大きな痛手であった。『豊臣秀次切腹事件』は、秀吉最大の汚点と言えるだろう。
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