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『人を呪わば穴二つ』 (住職のブログ

2022/12/31 (土)

12月28日、安倍元総理の銃撃事件から半年、父晋太郎から続く地元下関市の選挙事務所は、昭恵夫人によって看板が外され、閉鎖された。7月8日、選挙応援演説中に凶弾に倒れたあの場面は、平和ボケした日本を象徴しているようで、警備態勢の甘さが浮き彫りになった。プーチン大統領が始めたウクライナ侵略戦争は泥沼化し、先が見えない中、親交があった安倍元総理を失ったことは、日本外交にとって痛手であった。
 この銃撃事件は、容疑者が旧統一教会の信者二世であったことから、政治家と旧統一教会の闇の部分が明白となり、国民の批判に晒されることとなった。国会では、連日旧統一教会関連の法案が審議され、来年には宗教法人解散が現実的のものとなりそうである。そして、旧統一教会の無理な献金によって家庭が崩壊させられ、困窮を極めた教会二世問題もクローズアップされ、その異常さが白日の下に晒されることとなった。
  このような危ない教団に勧誘された時の対処方法は、野球にヒントがある。ピッチャーが打者に対して、これは打たれそうだと思った時に「敬遠」(敬って遠ざける)するが、これは元々『論語』に出てくる言葉である。孔子が弟子から「鬼神に出会った時にどうすればよいか」と問われた時の答えが「敬遠」である。この宗教は危ないと思ったら、ピッチャーのように「敬遠」するのが、最善の対処方法である。
 旧統一教会のがよく使う呪いの言葉に、「地獄に落ちる」「サタンが付いている」がある。このような言葉を他人にかければ、「人を呪わば穴二つ」の諺があるように、自分に跳ね返ってくる。法華経「観音経」に「念彼観音力」「還著於本人」「ねんぴかんのんりき げんぢやくおほんにん)の経文がある。この意味は、「観音の力を念ずれば 還って呪いの言葉を言った本人に著く」、つまり呪った本人が墓穴を掘ることになるとの教えである。
 軽々に呪いに言葉を使えば、身を滅ぼすことになることを、忘れてはならない。



 

 

ワールドカップ (住職のブログ

2022/11/30 (水)

 11月20日、日韓大会から20年、第22回ワールドカップがイスラム中東の国カタールで始まった。ワールドカップは、通常夏開催であるが暑すぎるということで、異例の冬大会となった。カタールは、秋田県ほどの面積で人口270万の小国で、開催は難しいと思われていたが、12年前2010年のFIFA理事会で、最有力のアメリカを破って開催地となった。この経緯は謎であるが、大会終了後に東京五輪のような不正がなかったのか、検証が必要である。そして、この大会のために多くの外国人労働者が亡くなったことも、忘れてはならない。
 11月23日、日本は初戦ドイツとの戦いに2-1で勝利し、日本中が歓喜に包まれた。この試合は、森保監督の采配がズバリ的中し、戦前の予想を覆す番狂わせで、世界中を驚かせた。27日のコスタリカ戦も、その勢いで行けると思ったが、「柳の下にいつも泥鰌は居ない」の格言のとうり0-1敗れ、日本中を落胆させた。ドイツ戦が最高の逆転勝利だっただけに、コスタリカ戦の敗戦はワールドカップの厳しさを、思い知らされる結果となった。  
 11月28日のスペイン対ドイツが引き分けに終わったので、E組4チームにGL突破の可能性が残され、ややこしいことになってしまった。日本は12月2日のスペイン戦に勝利すれば、文句なしにGL突破できるが、敗れれば即敗退となる。しかし、引き分ければ首の皮一枚で可能性が残り、やきもきさせられることになる。スペイン戦は、同時刻に行われるドイツ対コスタリカの試合を横目で見ながらの、難しい戦いとなる。4チームにとって、GL突破と敗退をかけた大一番となる。結果は、神のみぞ知るである。
 今回のワールドカップは、思わぬ所に飛び火した。それは、中国人民対習近平の「ゼロコロナ政策」を巡る戦いである。中国人民は、マスクを付けず熱狂し大声で応援する各国のサポーターの映像に触発され、これまでの「ゼロコロナ政策」に反対するデモを全土で繰り広げた。中国のテレビ局は、その影響を考え、観客席の映像を流さない対策をとった。ワールドカップは、「かごの鳥」状態で厳しい行動制限を余儀なくされ、国内に閉じ込められた人民ののフラストレーションに火を付けた。中国政府が、なぜこれほどまでに実現不可能な「ゼロコロナ政策」にこだわるのか、不思議でならない。
 改めて、ワールドカップの影響力の大きさを認識させる出来事であった。

 

習近平総書記3期目 (住職のブログ

2022/10/31 (月)

10月23日、5年に1度の中国共産党大会を経て、習近平総書記は異例の3期目一強独裁体制をスタートさせた。これまで、「2期10年」「68歳定年」の慣例を破り、習氏側近で固めた新指導部チャイナセブンの誕生である。この2つの慣例は、共産党の個人崇拝を防ぐ機能を果たしていただけに、非常に残念な結果である。習氏は、2012年に総書記に就任し、それまでの外交路線「とう光養晦」(能あるタカはツメをかくす)を放棄し、超大国として米国と対峙する路線に舵を切った。それは、「一帯一路」や南シナ海への海洋進出等、対外膨張軍拡政策であった。
  国内に目を向ければ、「ゼロコロナ政策」「不動産バブル問題」、そして少子高齢化・人口減少社会の到来と、課題山積みである。習氏はこの10年、一強独裁体制確立に邁進し、人民にナショナリズムに火を付け煽り続けてきた。それは、「世界で中国が一番 中国で共産党が一番 共産党で習近平が一番」の魔法をかける事であった。しかし、魔法はいつか解けるものである。その時、どんな中国になるのか、興味は尽きない。このままの政策が続けば、ナショナリズムが制御不能のモンスターに育ち、習氏3期目が惨期目になる可能性は、否定できない。
  中国は、1985年に鄧小平の提唱により始まった「先富論」(先に豊かになれる地域や人々から豊かになればいい)、そして改革開放政策によって目覚しい経済発展を遂げ、2010年には日本を抜き世界第2位の経済大国になった。その結果、貧富の差が拡大し社会の分断が進み、人民の不満が募り格差是正が喫緊の課題となった。本来、共産党は農民を守る政党だったはずだが、いつのまにか農民を食い物にする、腐敗が蔓延する金持ちクラブに変貌を遂げた。
  農村から生まれた共産党、中華人民共和国の創始者毛沢東、その信奉者である習近平、その習氏が提唱するのが「共同富裕論」(人民を平等に豊かにする)である。これは、格差是正を目指す政策であると同時に、腐敗した金満共産党への強烈な批判と言える。しかし、新指導部は経済の門外漢ばかりで、理想はよいが経済運営が心配である。もう一つの心配は、政権維持のためナショナリズムの高まりに迎合し、台湾侵攻の冒険主義に陥ることである。
  改革開放の社会主義市場経済からの脱却が、中国をどのように変革させるのか、これからも目が離せない。「共同貧乏」にならないことを祈る。

 

 

国葬に想う (住職のブログ

2022/09/30 (金)

9月27日、日本武道館において、日本憲政史上最長の通算8年8ヶ月首相を務めた安倍元首相の国葬が、しめやかに執り行われた。7月8日、奈良市内で参院選の応援演説中に凶弾に倒れてから、81日目の国葬であった。この国葬については、国会軽視や旧統一教会をめぐる問題から、賛否が分かれる結果となった。その結果、安倍元首相を偲び多くの人が献花に訪れた一方、会場の外では反対デモが繰り広げられるという、異例の葬儀となってしまった。 
 国葬反対の人が、デモを行うことは自由であるが、サイレントマジョリティーにどのように思われるのか、主催者にはよく考えて欲しかった。中国や朝鮮には、死者にムチ打つ文化はあるが、日本にはない。まして葬儀の当日に行うことに対して、どれだけ賛同を得られるのか疑問である。多くの国民は、問題はあるにしても葬儀の日ぐらいは、静かに見送ってあげるのが、死者に対する礼儀だと思っているのではないだろうか。
  それにしても、山上容疑者が行った凶行が、これほど国を二分する事態になるとは、事件当初は予想できなかった。しかし、政治家と旧統一教会の関係が次々と明らかになったことが、国葬反対に拍車をかけたことは否定できない。安倍元首相を筆頭に、旧統一教会の政界工作がこれほど深く広く潜航していたとは、大きな驚きであった。国葬の是非に影響を与えた旧統一教会問題は、これから国会で議論されることになるだろうが、一番の焦点は宗教法人が剝脱されるか否かである。岸田総理の指導力が問われることになる。
  今回の安倍元首相の国葬は、賛否が分かれる中で執行されたが、その中で、一服の清涼剤となったのは友人代表菅前総理の弔辞であった。菅前総理のとつとつとした語りと心情あふれる弔辞は、自然と拍手が起こり参列者そして国民に感銘を与えた。弔辞の一節「かたりあひて 尽くしし人は先立ちぬ よりよい後の 世にいかにせむ」の句は、菅前総理が安倍元首相の盟友であったことを深く印象付けるものであった。
 静寂であるべき国葬が、国騒となったことは非情に残念であった。

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