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満年齢と数え年 (住職のブログ)
2023/12/30 (土)
12月23日、当山の星祭り開運祈祷会が、コロナ渦の人数制限から開放され、通常通り開催された。この行事は、数え年で来年の運勢を占い、開運を願うものである。しかし、今では「満年齢」が当たり前となり、「数え年」がよくわからず混乱してしまうようである。満年齢は、「基数詞」で0から始まり誕生月で年を取る。数え年は「序数詞」で1から始まり正月で年を取る。室町時代の禅僧である一休さんの句に「正月や冥土の旅の一里塚」めでたくもありめでたくもなし」があり、正月に年を取っていたことがわかる。
※それでは、いつから満年齢が取り入れたのかといえば1961年(昭和36年)に始まった3歳児検診である。3歳児健診をする時、数え年では不都合が生じるので、満年齢を取り入れたという経緯がある。同学年の大谷翔平と羽生結弦の場合で考えてみると、なぜ不都合なのか理解できるだろう。大谷は1994年7月5日生まれ、羽生は1994年12年7日生まれで5カ月違う。この二人を数え年3歳で健診すれば、正月で年を取るので大谷は生まれてから1年6カ月後の数え年1996年の正月で3歳、同じく羽生も1年1ヵ月後で3歳となる。同じ3歳ながら5ヶ月違いの子供を比較したのでは、正確な3歳児健診にはならない。満年齢で行えば、1997年の誕生日に二人共満3歳になるので、正確に発育状態を比較できる満年齢が取り入れられた。
※なぜ、これ程短期間で満年齢が一般に普及したのかといえば、数え年より1歳か2歳若く言えることが大人にとって魅力的であったからである。瀬戸内寂聴さんが生前満年齢になったことで歴史小説を書く時に大変不便であるとなげいていた。登場人物の年齢を書く場合、その人物の誕生日をいちいち調べなければならず、面倒であることは確かである。数え年ならば、正月で年を取るので扱いが容易である。星祭りを満年齢でやれば、誕生月で年齢が変わってしまうので、その年の運勢を占っても1年間ではなく誕生月までとなってしまう。
※もうすぐお正月だが、満年齢になったお陰で「お年取り」がすたれ、お正月を迎える気分を味わえなくなって、淋しい限りである。
十字軍 (住職のブログ)
2023/11/30 (木)
11月24日、イスラエルとハマスの間で、4日間の戦闘休止で合意した。毎日人質が解放され、家族と再会する映像が流れているが、戦闘休止がいつまで続くのか、注目である。今まで百人ほどの人質が解放されたが、全員が解放されるまで、予断を許さない日々が続く。中東は「火薬庫」と言われ、紛争が絶えない地域である。イラク戦争の時、フセイン大統領によって日本人が人質に取られたことを思い出し、平和な日本に生まれたことに感謝である。
なぜ、紛争が絶えないのか、時代を遡れば11世紀末から13世紀まで、7回行われた十字軍に起因する。当時、エルサレムはイスラム勢力によって支配され、キリスト教徒にとって望ましい状況ではなかった。この状況を打破しようと、1096年ビザンツ帝国のアレクシオス1世が「聖地エルサレム奪還」を旗印に、ローマ教皇ウルバヌス2世に援助を求めた。その時、ウルバヌス2世は聖地奪還に参加する兵士に、十字架を付けることを命じたのが、「十字軍」の始まりである。
第1回目の十字軍は、1099年5月にエルサレム奪還に成功するが、内実は行く先々で略奪を繰り返し、聖戦と呼べるものではなかった。十字軍は、住民を無差別に虐殺し「血の海」にしたと言い伝えられている。そして、イスラム教徒にとって聖地である「岩のドーム」まで襲撃され、十字軍は恐怖の対象以外の何物でもなかった。この出来事が、今でもイスラム教徒の記憶に刻まれ伝えられ、今回のイスラエルによる無差別爆撃が重なって見えるのだろう。
第1回目の十字軍によって奪還されたエルサレムだが、その後イスラム勢力に奪還され、結局7回にわたる十字軍は失敗に終わった。それから700年、イスラム勢力に支配されたパレスチナに、1948年イギリス、フランスによってイスラエルが建国された。イスラエル建国は、イスラム教徒にとって招かざる客であり、受難の歴史の始まりであった。イスラエルは20世紀の十字軍で、過去の記憶を呼び起こす悪夢となった。
イスラム教徒は、十字軍のキリスト教徒に虐げられ、今度はイスラエルのユダヤ教徒に虐げられるという被害者意識は、中国に千年にわたって虐げられた朝鮮の「恨」の感情に似ている。イスラム教徒の「恨」は、宗教が根底にあるだけにより根深いといえるだろう。
宗教戦争 (住職のブログ)
2023/10/31 (火)
10月27日(金)、イスラム教徒にとって金曜礼拝の日である。当山の近くには、東北で唯一のイスラム寺院があるので、イスラム教徒達が三々五々にお寺の前の国道を、歩いたり、自転車に乗ったり、車に乗ったりして礼拝に行く。彼らの姿を見ていると、その熱心さに驚くと同時に感心させられる。たまには、信者達がお寺の境内に上って来るので、仏像に悪戯されないかと、バーミアンの大仏爆破の映像が強烈だっただけに、少々心配になる。狂信的な信者が、出現しないことを願っている。
中東では、ユダヤ教のイスラエルとイスラム教のパレスチナハマスとの戦争が勃発し、これからどうなるのか宗教が絡んでいるだけに厄介である。イスラエルは、ホロコーストの反省と同情もあったヨーロッパ諸国の後押しによって、1948年パレスチナの地に建国された。2000年前にローマ帝国に滅ぼされ、世界中に流浪の民となったユダヤ人にとって、宿願の新国家誕生であった。新国家イスラエルの誕生によって、この地を追い出されることとなったパレスチナ人にとっては、降って湧いた災難であり、恨み骨髄の出来事であった。しかし、イスラエル人にとっては旧約聖書で神から与えられた約束の地カナン(パレスチナの古名)に戻っただけという認識なので、罪の意識はないだろう。
パレスチナ人は、パレスチナに住んでいたアラブ人なので、イスラエルは多くのアラブ諸国を敵に回す結果となり、これまで4度も戦争を行ってきた。しかし、ユダヤ人とアラブ人は、「信仰の父」と呼ばれるアブラハムを先祖とする、異母兄弟である。アブラハムと女奴隷ハガルとの間に生まれたイシュマエルがアラブ人の先祖、アブラハムと妻サラの間に生まれたイサクがユダヤ人の先祖である。そして、イサクのの子であるヤコブはやがて神から「イスラエル」と名付けられ、これが現在の国名になっている。
ユダヤ教は、日本の神道、インドのヒンズー教と共に、世界三大民族宗教と言われ、その民族だけが信仰する宗教である。今回の戦争は、宗教が絡んだ兄弟喧嘩なので、なかなか和解は難しい。神道と仏教が争いなく共存している日本は、世界的に見れば稀有な国と言えるだろう。宗教戦争のない日本をつくった先人達の知慧と努力に感謝である。
秋彼岸 (住職のブログ)
2023/09/29 (金)
9月20日は、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる、秋彼岸の入り日である。今年は猛暑続きの夏であったが、ようやく秋の気配を感じられる季節になった。お彼岸は、平安時代から1000年以上続く、日本独自の仏教行事である。春と秋の2回、「春分の日」「秋分の日」の日をはさむ1週間である。お彼岸には、お墓参りをしてご先祖をしのぶと同時に、そこにはお釈迦様の教えが込められている。
なぜ、お彼岸が1週間の7日なのかといえば、インドでは7という数字が、仏を象徴する数字と考えられているからである。それは、お釈迦様が誕生した時、「七歩あるいて天上天下唯我独尊」と言った古事にあらわれている。7歩あるくことによって、この子は将来仏様になることを、暗に示唆しているのである。つまり、仏教は「成仏」を目指す宗教であることを、お彼岸の行事を通じて私達に教えているのである。そして、お彼岸では「春分の日」「秋分の日」を「お中日」といい、9月23日が秋彼岸の「お中日」である。
それでは、お彼岸になぜ「お中日」が設けられたのかといえば、7日間の真ん中で、昼と夜の長さが同じいうことで、お釈迦様が説かれた「中道」の教えと結びついているからである。仏教の大切な教えである、「成仏」と「中道」をお彼岸の行事を通して、今に伝えているのだということを忘れてはならない。お彼岸は、ご先祖に感謝すると同時に、お釈迦様の教えに触れる1週間でもある。
お釈迦様が説いた仏教を、わかりやすく教えてくれる漢詩がある。それは、「七仏通戒偈」(しちぶつつうかいげ)で、「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(もろもろの悪をなすなかれ もろもろの善を奉行せよ 自らその意を淨くする これ諸仏の教えなり)である。「闇バイト」と称し、安易に悪事に手を染める若者を見ると、「七仏通戒偈」を思い出す昨今である。